世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

あえてグランドファザコンと名乗っていますが


昨日から一ヶ月半ぶりぐらいに、物凄い勢いで八雲総一TERRA副司令官に感情移入してまして、心の中は「功刀さぁん」と涙でいっぱいです。なにしろキムをフッて功刀さんと心中しようとしますからね、総ちゃん。功刀さんに「総一、みんなを宜しく頼むぞ」って言われなきゃ特攻しなくても自害してたかもと思う勢いです。たとえば謹慎中の功刀さんの屋敷なんかに招かれて「おいで、総一」とか言われたら、自分ナニすっかわかんないっす(←取り乱すな。おまえは総ちゃんじゃないぞ)。
これぐらいの年齢差な二人は、むしろ十代の頃の「萌え」でして、なぜ今更こんなドリームが自分の中でパアッと広がって脳内を占領してしまうのかわからないのです。原作の功刀さんて、一種の「生ける屍」な訳で、それもまあ魅力ではあるんだけど、ゲーム内だから有能かつ面白キャラになってる部分がある訳ですし。「師匠と弟子」という関係が好きなのはそう変な趣味ではないと思うのですが(渋いジイサンから「おまえには見どころがある、私についてきなさい」とプロポーズされたらその場で嫁に行くよ、というドリームは我ながら妙てけれんですが)、改めて「なんなんだろうな、これは?」と思います。
ドリームはドリームなんだからほっとけよ、という気もしますけれども。
こうまで自分に深く根ざしているんだとすると、いくらみっともないと思っても、消し去ることもできないでしょうし。
グランドファザコン


すでに十三回忌も終わっている実際の祖父ですが、いったい自分は彼と何がしたいのよ、と自問すると、「コレわからないんだけど教えて」と、数学の問題を手に祖父の机の脇にたたずんでいる過去の自分しか思い浮かんできません。算数時代から世話になってましたが、数学はかなり苦手だったので、高校一年ぐらいまで教えてもらっていたのです(三角関数ぐらいまで)。それ以降は彼の守備範囲ではなかったので、学校の先輩なり理系の男友だちなりに教わったり、数学の先生が大好きな女の子にノートを借りたりして、なんとか卒業にこぎ着けた訳ですが。
わら半紙にボールペンで解法を美しい字で連ねていく祖父と、それをじーっと見ている私という図を思い出すと、ちょっとじわっと来るものが。進駐軍相手にやりあった人で、おそらく堪能であったのでしょうが、英語は教わらなかったなあとか回想モードに入ってしまい。


というかなんか私は「教わりたい」のか。ジイサンに。


「よし良くできた、いい子いい子」してもらいたい訳ではないらしいんですよ。
信頼できる大人から、正しい距離感をもって見守っていてもらいたいというのはあるんだけど。
ってソレ、この年齢で言うことなのか?という話になってくるんですが。
(すでにリチャードさんも追い越してんですけど、精神的にはどっぷり十代だよ)


「師匠募集中」とか、どっかに看板でもたてとくか。なあ。