世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

「政治」ではなく。


そういうゲームをプレイしてまして、「あの人は政治向きでない」「あの人は生粋の政治屋だよ」などという言葉が出てきます。
で、ふと思った。
「政治的」ってなんだったっけ。


政治的に正しい〜」という言葉が流行ったのは、おそらくそれまで寓話等に貼られていたレッテルをひっぺがす作業が、なにげなく新鮮にうつったからなんだと思います。飽きられたのは、それが別のレッテルを貼りつける作業になっちゃたから。人は何かを見る時、必ずレッテルはりをします。世間的なレッテルでいい人はそれを安易に、ゴーイングマイウェイな人は自分レッテルをそれこそ強引に。私は政治的でもなんでもない人間で、むしろ自分の囲いの中にいろんなものをくくりこもうとしますが、何かペタリと貼られるのは大嫌いです。はがすためなら、慣れない「政治的」なこともやるさ。


というようなことをぼんやり考えていました。


おかげさまで22歳×43歳妄想もおさまってきました。というか、「少し落ち着いたか、総一?」「……はい」という功刀さん視点にシフトしてきただけなんですが。いかん、これでもう一本書けてしまうじゃないか(←だからヤメロってえの!)
それでも自分の中の総ちゃんをいたわってやろうという気持ちになっただけでもいいか、とも思います。つまり私の中にいるこの二人は、「僕を置いていかないでください、功刀さん」「大丈夫だ、おまえはもうひとりで立っていられる」のせめぎ合いなんだよな。私はとても「ひとり」で頑張れる人間ではなく、たとえ頑張れたとしても「置いていかれる」のはかなわないんだ。


ってそれ某34歳と某18歳の二人でやりましたっけ……。