世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

ゲラなおしたり旧作チェックしたりしてるとね。


現在流布している新美南吉の『ごんぎつね』は、「赤い鳥」の編集長・鈴木三重吉が、雑誌掲載に際して勝手に大幅に書きかえたものである(それゆえ部分的に辻褄があわなかったり、ごんの心理が原作と違う部分があったり)、という話はかなり有名です。
小学校の教科書に掲載されている「ごんぎつね」も、それからかなり省略されているということで、それはまあ容易に想像のつくことですが、最後にごんが死なないバージョンもある、というのはさすがに知りませんでした。


話が違ってまうがな。


私の場合は、自分で直せるだけいいのかもしれんと思う訳ですが、あまり他人の思惑をいれるとズタズタになってしまうものってあるな、というのをあらためて実感しているところなのでした。あんまりつぎはぎじゃ、やっぱりワケわからん状態になってしまう。それをどうにかするために「推敲」という作業がある訳ですけれども。


まあそんなことは、スキルをあげるだけあげて、なおかつ誰の目にもわかるように(見せかけだけでも)書けばいいだけのことなんだけどね……。