世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

さいとう・たかを『歴史劇画・大宰相』


最近、『小説・吉田学校』を下敷きに戦後政治を描いた『歴史劇画・大宰相』をチマチマ読んでいるのですが。


私「名字が違うからまさかと思っていたけど、岸信介佐藤栄作って実の兄弟だったんだね」
女親「(こともなげに)ああ、それは知ってたよ。佐藤栄作はつきあいあったし」
私「(驚く)つきあい? どういう?」
女親「だっておじいちゃん、国鉄時代、反対派だったからね(注:私の祖父は、戦後国鉄にいた時期があり、その押し出しが立派なこともあって頼りにされ、組合の偉い人になってガンガンやっていた事があるらしい。そして佐藤栄作は、元鉄道官僚→政治家→総理大臣)」
私「あっ、そうか」
女親「戦ってる時はお互い一歩も譲らないけど、それが終われば一緒にごはん食べたり、車のせてくれたりしてくれたらしいよ。あいつは兄さんより気さくな奴だ、って誉めてたよ」


ああ。
そういうバックグラウンドで物を言っていたのか、この人は。
岸信介なんか、元A級戦犯のくせに、首相になったりノーベル平和賞もらおうとしたり、本当にとんでもない奴だ」とか。
「三木さんあんなに頑張ってたのに三木おろしとか言って、よってたかってさ」とか。
そうですか。
一瞬、親を違う目でみたよ。
歴史の中の人のひとりとして。


さいとう・たかをの劇画に、おじいちゃんが一コマでも出てたらどうだろうと考えたら、ぴたりとはまるような気がしておかしかったりもしたのですが。スーツ姿に杖ついて現れたりしたら、それこそ「政治家」のようだったでしょう。実際は、苦学して技術者→パージ→国鉄→教員だったようで、「政治」なんて一番やりたくなかったことでしょうが(教員時代も、何度も管理職になってくれと言われて断っていたらしい)。
如才ない人であったのは事実で、ひととおりの世間話をしているなと思って見ていると、相手が帰った後で「あのバアさんは誰だ」なんて呟いた人ですからね。その人は、白髪が美しいが、あなたの娘婿のお姉さんですよ・○○おばさんだよー・みたいな。


私「なんで名字違うか知ってる?」
女親「婿にいったからじゃないの」
私「いや、兄の方が岸家に養子に入って、弟は佐藤本家の養子になったからで、婿になったからじゃないらしいよ。ふつう名字が変わると、婿に入ったみたいな感じがするけど、ほら、昔の話だからさ」
女親「ふうん、そうなんだ」


えっとー、本当につきあいあったんですか……。