世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

ガッカリフェーズ(命名:もがみ様)について


私は絵を描きませんので、絵を描く恍惚感というのはわからないのですが、文章に入り込んで筆が進んでいる時は楽しいです。脳内麻薬が出ていて「はっはっは!」になっている時もあります。が、基本的に自分の中でゴタゴタしているものを並べ替える作業な訳で、「スッキリ」するといった方が正しいのかもしれません。あとは、最後の一行が決まって「できた!」という達成感とか?
ほれぼれ読み返すのがほぼ二次創作であるというのは、つまりそれが原作を咀嚼しなおす作業だからに他ならず、例えばそれを演じていた人の声で読めば自分的には「わはははは」だったりする訳です。自分にしかわからないコントとかをひそかに楽しんだり(「ラマン」で書いた末尾の台詞「今、人と別れて来たんです」は、『伊豆の踊り子』と『ラマン』を両方知っている人には笑えるところだろうな、とか。それは例えば『宮本武蔵』を知っている人には『魔界転生』のラストが腑に落ちるみたいなものであろうな*1、と身の程を越えた想像するのも楽しいです)。自分がそのキャラになったら何を言うか、何を言われるか考えるのが楽しいのであり、あまりに長くつきあってしまって自分との境目がなくなってしまったキャラについてはこの限りでありません。


己のオリジナルの場合、書き上げた直後はだいたいガッカリフェーズに入っています。本にした直後で人目にさらされたばかりの時とか。そのフェーズを抜け出せるのは、ヨイショの上手な読み手さんが声をあげてくれる時です。自作の評価はだいたいあがりさがりします。自分のスキルレベルでここまでなら書けるとわかって書いて出したものは、往々にしてあぶらっけが少ないので、読み直して己を暖めることができないからです。自分がここまで書けるかどうかわからないと思いつつギリギリまで書いたものについては、書き直している時も楽しかったりします。


そんな感じですが回答になってますでしょうか>これも私信↓
http://d.hatena.ne.jp/wang2zhonghua/20041022

*1:M・デュラスの『ラマン』は、男女が逆転したフランス版『伊豆の踊り子』だと私は思っています。特に映画のラストでは「学生さん!」と叫んでしまったことです。また、素養もないのに『魔界転生』を読んでとけきらなかった私が、内田吐夢監督の武蔵三部作をみた時、「ああ!」と一気に開眼した経験についてこの文章は書いています。