世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

むしろこっちが、私にはわからない逡巡なのです。


私は「誰かを♂♂(もしくは♀♀)と呼ぶこと=その人を馬鹿にすること」という概念が、理解できないのです。
だってそれこそ差別意識じゃんよ。つまり、同性愛イコール馬鹿にされていい、って思ってるってことでしょ?
イジメ、かっこわるーい。


二次創作で♂♂を扱うお嬢さんたちが己の作品を恥ずかしがるのは、性的なものを扱っているという自覚があるからなんだとずっと思っていたんですが、実はそれだけじゃないらしいということに気づきました。つまり、彼女らには、そのキャラを馬鹿にしている、という感覚があるらしい。それゆえの「ためらい」らしい。


びっくりしたんですよ。


愛ゆえにそのキャラをなぞってるんでないのかい!
そのキャラを見下しながら、よくそんなことができるね!
私にはキミタチのためらいがわからないよ!


と。
私の場合、二次元物ばかり扱っているというのもあるんですが、本当にわからないんだ。己の微妙な立ち位置のせいで、すっかりわかんなくなっちゃったというのが正しいかもしれませんが。
だから楽しそうに「○○もそうだったんだって」等と言ってヒンシュクを買ったりする訳です(本人は馬鹿にしてると思ってないし、興味本位でもないから繰り返すんだけどね)。


なあみんな。
ためらうな。
胸をはって漢らしく*1行こうよ!

*1:同人誌における「漢(おとこ)らしい」という概念はとても面白いと思っているのですが、それはつまり、上記二点の逡巡が吹っ切れている状態のことですよね?