世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

知ったかぶり


私の音楽の知識といえば、金管木管の音は半音違う、ぐらいのことで、ピアノでだすA音とギターの5弦の音は同じかどうか、というあたりからすでに怪しい(チューニングはどうやってたんだい?)。耳コピしてメロディーを最後まで五線譜におこしてから、やっとシャープが幾つついている曲かわかる程度(←何調かを何で判断するかぐらい、高校で習ったはずだよ!)。セブンスコードの音色はわかるけど、とにかく数字のついたコードは、何の音が足されているのか、いちいち調べてみないとわからない(そういう曲はタブ譜なしで弾いたことないし、それ以前に弾けないし)。
……というあんまりなレベルでも、楽譜を読んで子どもの前で指揮者のまねごとぐらいはできるんですよ。アハハハハハ。ハァ。何年音楽やってたんだよオマエ(四歳からいろいろ触って二十年弱)。
推理小説を読まない人ほど「ミステリにしては〜」などともっともらしく言い出す滑稽さと同じで*1、こういう状態で音楽について何か書くのは恥ずかしいことだと知ってはいるのです。知ってはいるんだ。知っては。
でも、せめて音楽の「楽」なことだけでも文章で再現できないかなあと思うこの頃だったりします。そのちょっとした雰囲気だけでも。


難しいねえ……。

*1:これは特定のジャンルに限ったことでなく、「○○にしては」などと大雑把にひっくくる物言いの登場する文章は、まずレベルの高いものではないでしょう。良い書評は、誰が読んでもわかりやすく、そのどの一部分を抜粋しても面白く、そしてきらめいているものです。