世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

19日の日記訂正済み


19日の日記についてweb拍手をいただきまして、「フラッシュマン」が何年に放映されたのかもう一度考え直してみたんですが、何かおかしいということに気づき。で、検索かけてみたら、一年間違えてました。1986年放映開始、つまり19年前のオンエアでした。お詫びして訂正いたします。
いや、サー・カウラー登場の回の晩のことはクッキリ覚えてます。サークルの例会の日で、例によって終電で帰ってきて、撮っといたビデオの電源いれて。


びっくりして夜中に四度も見た。その後も繰り返し見た。
それまでフラッシュマンて、どうも盛り上がりにかけるところがあって(中国残留孤児をモチーフにした宇宙人の侵略系特撮でしたが、なんというか地味だったんです。ダイナマンバイオマンチェンジマンと見た後だとね。ラー・デウスはいかにもブチデザインでしたが。)、あまり期待もしないでいた。それが、傭兵隊長サー・カウラーの登場で、まったく違うノリノリの物語に変わっていた。
「強い敵の登場(対抗するために、その後味方もパワーアップ)」という、時期的にお約束のエピソードだったんですが、その演出のうまさにびっくりした訳です。その回の最後、倒されたロボの中にむなしくひびく「フラッシュマン、立ち上がってくれ、フラッシュマン!」の声で、「おおっ!」と背筋がぞっとした。中田譲治、本気で格好良かった。ただのムサイおじさんではなかった。*1
……そういう大学生でした。


故・山村正夫先生に「あなたはいま何を読んでいるの」と訊かれ、「香山滋です」と答えたのもあの晩だった気がします。当時の女子大生といえば「女子大生亡国論」などという言葉が流行語で、つまりバカの代名詞であり、先生にそういう質問をされたら、いかにも頭が悪そうに流行作家を答えなさい、と先輩からレクチャーされていた訳ですが、私は本当にバカですから、むしろ正直に答えた。国書刊行会の復刻版がばんばん地元図書館に入ってきていたので、『剥製師Mの秘密』あたりが大好きだった頃でした。案の定、先生は一瞬無言になった訳ですが、むしろまわりをとりまいていた先輩方の方がきょとんとして「誰ですか?」と。「知らないのかね、(私の)大先輩だよ」とふたたび静かに飲み始めた先生は、やはり大人でいらっしゃいました。


香山滋については日記でも何度か書きました。日本有数のシャーロキアンであり古本収集家であり作家である北原尚彦さんにもらったのが、アメリカの水爆実験に抗議して書かれた香山滋の『ゴジラ』、その復刻版であったことを書いたと思います。
……そういう大学生でした。


で、それが20年近くも前のことか……うへー・成長してないのう。

*1:でも滑舌は当時も凄まじいものがあり。「(ケフレン、おまえは)おまえがウジ虫と軽蔑していた、地球人だ!」「ええっ、地球人!」というクライマックスも、何度きいても“ムシムシと軽蔑していた”としかきこえない。文字通りすっころびました。当時のビデオ、ベータだけどどこかに残っているかなあ。