「古畑任三郎」が「刑事コロンボ」*1の日本版として登場して十余年、先日の三夜連続で再度ファイナルということになった訳で、様々な小技をきかせつつ(たとえば第三夜なら、初回の中森明菜の事件の設定を掘り返したり、津川雅彦への名台詞をリバイバルさせたり、お得意の曲でワルツを踊らせたり)、どれもオーソドクスな展開で楽しめる出来になっていました。第一夜はちょっと佐久間象山×沖田総司臭がちょっと強すぎ、第二夜はゲストのイチローよりも向島くんの花道の感が強すぎましたが、まあそれはアクセントとして可かと。第三夜も「それまでずっとひきこもってた中年女性が、ろくな訓練もせず大勢の人前で演説できるようになったというなら、その人は根暗どころか天才女優だよ」というツッコミを入れたいところですが、まあ演じてるのが女優ですからヤボというものです。
ただ、第三夜の設定やドラマ/マスコミ批判のあたりを見ながらぼんやり思ったのは、これは三谷先生なりの、「野沢尚」追悼だったんじゃないかと。
いや、彼が亡くなった時、三谷先生「こんな上り調子の時に自殺するなんて信じられない、と皆さんおっしゃるようですが……」というコメントを朝日で書いてたので。一緒に仕事したばっかりの同世代の脚本家が自殺した訳ですから、三谷先生もショックだったろうし、その時いろいろ思うところがあったんじゃないかなと。その気持ちがこのドラマに反映されている、そんな気がしたのです。
「人はやりなおせる」と言われて泣く松嶋菜々子を抱きしめるラストに漂う切なさに、その“思うところ”成分が含まれていると感じたのは、私の勝手な深読みでしょうか。