世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

私が中高生の頃は、岩波文庫がまだ1冊100円


本の雑誌社から出ている「都筑道夫少年小説コレクション」は買いですよ”と北原尚彦さんがおっしゃるので、ちょっと一冊手にとってみました。
蜃気楼博士』の巻。
私がこれらの作品を最初に読んだ頃はまだ中学生。桃源社から出ていたソフトカバーの再録集を、図書館で借りた記憶があります。なかなか懐かしい。
峠原忠明という霊媒師が、離れたところにいる人間を殺すと予告し、実行するのに対して、かつてドクター・ミラージ(蜃気楼博士)とあだ名されたマジシャン、久保寺俊作が対決する物語。「TRICK」のようなコントではなく、エラリー・クイーンばりの正当派パズラーで、読者への挑戦状もついています。やさしく短く書かれていますし、犯行のやり方は子どもでも想像がつきますが、きちんとした推理小説です。


ですが、初読の最大の印象はこれ。
「“峠原忠明”って、なにその時代劇みたいな名前?」


いや、今でもそう思ってるんですけどね。
ただ、それだけ印象に残るんだから、正しいネーミングだな、と思わないでもない。


角川文庫でも、3冊買って伊藤博文一枚で足りる時代でしたので、都筑道夫の大人向け作品は、自分でコツコツ集めていました。買った日が鉛筆で記入されているものもあって、「こんなもの、この年齢で読んでたんだよな、嫌な中学生だなあ」と苦笑する時もあるのですが、子ども向けが物足らないお年頃だったので、まあ仕方がない。
それがこの年齢(むしろ自分にお年頃の子どもがいてもいい)になって「あ、まだ未読の子ども向け小説あるんだ、読んでみようかな」と思ったりする訳で。


しかし、なんであんなに安かったのかなあ。
私がうまれた頃は、日本の作家でも、「作品が文庫化されれば食っていける」「年に一冊長編出せば食っていける」という時代だったはずなんですよ。
今じゃありえないことです。
だけど文庫は安かった。たとえば漫画よりも。


なんでなんだろうなあ。