世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

いちいちアンバランスなんだよね。


武装錬金って。


1)世界観のアンバランス


核鉄を持つ人たちは、ホムンクルスと世界中で何百年も戦ってきているはずですが。
漫画の舞台は銀成学園(ニュートンアップル女学院もあわせて、ほんとにすべてが高校生活の範囲内)に終始しています。
スケールちっちゃすぎだろ!
学園ドラマというにもきびしいし。
最後だけいきなり「月」っていうのも唐突です。あまり頭のよくない解決方法としか思われず。
というかバスターバロンにのったみなさんはいったいどれぐらいで着いたの?
どんだけ重力かかるんだ。死にますよホント。


2)大人と子どものパワーバランス


これは前にも書きましたが。
カズキとパピヨンは強くてもいいんです。前者はヒロインですから、強さのインフレがあってもいい。後者は、病魔とたたかいながら、ご先祖が百年かかった研究を三年で完成させた蝶天才って設定ですから、いくら強くたって構やしない。むしろ主人公として、強くなければならん(最後まで主人公だったよ)。
だけど、初戦の剛太が、暗殺部隊のベテランの弱点をあっさり見抜いて勝っちゃったりとか。
おかしいだろ?
なあ。


3)それ以前に敵とのバランス


錬金の戦士たちはホムンクルスと戦ってたはずですが、LXEが縮小しちゃったら、ぜんぜんホムンクルス狩りをしてなかったでしょ。
おまえらの仕事はなんなんだ。
LXEも壊滅しちゃったわけじゃなくて、施設とかバンバン残ってるじゃないですか。桜花先輩とかパピヨンが、簡単に有効活用できちゃうレベルで。
錬金戦団って、いったいなにやってんだ。
知らないで放置してるならともかく、情報収集してるじゃん。
ってかヴィクターをホムンクルスにする意味って、なんなんだ。
月で暮らすためだけ?
(ってか鷲尾まで月につれてくなよ)


いくら打ち切りになった漫画だとしても、なんとなく「らしさ」を匂わすことは可能だと思うんですね。だけどそういう奥行がないから、話の歪んだ部分(特にヴィクターあたり)が目立ってしまう。
だから、「爆爵とヴィクターの純愛」と「パピヨンとカズキの熱い友情」しか評価できないんですよ。しかもヴィクターは「奥さんと娘はいい面の皮だ」状態なので、爆爵じいちゃんの純情の評価がちょっと下がってしまいますし。


しかしぱぴよんはよかった。
感動した!
真殿くん、大変よろしかったです。
核鉄精製のフラスコを守って刺されちゃう場面は素晴らしかった。
しかし二人は月で戦うのかと思ってたら、あんなみんなの目前で戦うとは。
いいことも悪いこともできないじゃん。
しかも大怪我しててさ(どう考えてもまっとうな勝負じゃないよね)。
いわゆる「おまえに殺されるならホ○モゥだ」なわけですが。


あと、最終回の最後におまけ漫画がついてましたが。
あれ、CDドラマのオリジナルじゃないんだ。
一日店長姿、可愛かったですね(最終回の最後までそこかよ)