世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

『久生十蘭 従軍日記』


やっと読了しました。
で、いちばんらしいと思ったのはやっぱり。

六時半、夕食。刺身、酢の物など。この頃三度三度きちんと喰べるのだが毎食が待ちかねる位い。殊に夕食は楽しみである。さもしい事を云うようだが内地の乏しい暗い食事のことを考え、帰ってからのわびしさが思いやられ、いつもながらそればかりで沈んだ気持ちにさせられる。物を食べる楽しみはおれにとってはもう骨髄に沁みているゆえ、これこそは偽らぬ正直な告白である。物のともしさということが嫌だがそのうちでも喰物のともしさが何より悲しい、こんなことを考えてはならぬのだろうが、やはり考えずにいられない。そういうわけで、夕食、沁みじみと喰う。美味いものはやはり美味し。満腹してベランダへ出、夕食を見ながら煙草を吸う。


戦争中ですから食料の欠乏が不安なのは普通なんですが、この、山川花世みたいに、前線でも割とチヤホヤされている(長官のはハラスメントだが)久生が書いていると、なんとなく別のニュアンスがあります。
空襲で何度も死にかけてるのに、その危機感よりも、こういう感慨の方が生き生きしている。
三つ子の魂百までもといいますが、基本的なキャラクターというのは生死の境ですら変わらないということなのだなあ。