世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

GJ


昨日はたくさんの拍手ありがとうございました。
最後のGJ、そのままお返しします。
その感想は大変嬉しゅうございます。ありがとうございました。


太陰暦の頃、数え年が普通だったのは無理もなくて。
なぜなら閏月で暦を調節していたので、誕生月が二回きちゃったりするからです。
そしたら「年明けに年を取る」の方が合理的です。
ですが私の世代になりますと、小説なんかで「正月がきたら私ももう、○○歳」なんて表現を見て、「あれ?」と一瞬首を傾げてしまったりするわけです(このひと1月生まれだったっけ、と思うのは間違い)。
今でも墓誌とか位牌は数え年で書く物らしく、それを考えると祖母は五十で亡くなっているようです。
わかいなあ。はやすぎるなあ。
叔母も五十代で亡くなっているのですが。
やりたいこと、いろいろあったろうになあ、ほんとになあ。