世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

というほどこえてないのですが


ゴンチャロフの『オブローモフ』を読んだので、ロシアの貨幣単位とかお茶用語とかざっと頭に入っているわけですが、そのあとでドストエフスキーを読むと、今までよりずっと読みやすく思えます。
こういうのも、慣れ?
あと、ドストエフスキーがポーの影響を受けていたなんて知ると、「ああそういうゴシック趣味なら、わからんでもないかも」と思って読めたりする。割と俗っぽいもんなんだな、というか。ハイスミスも、ポーやドストエフスキーの影響を受けているなどときくと、「ああ、そういう流れでこういう不思議な小説になったんだねえ」などと思えたりできるわけです。


でも上記三人のうち、若い頃でも読めたなあと思える小説って、『オブローモフ』ぐらいだろうか。
ポーだって若者には読みにくい作家だと思うんですよ。「面白さがあまりよくわからん」的な。学校でやったけどさ(一応英米文学科でしたので)。
ハイスミスなんて、十代の私なら「なんだこりゃ」って怒って捨てたと思うよ。たぶん。


ちなみに『オブローモフ』を知ったのは久生十蘭にでてきたからですが、出てきてなかったら、ロシア文学なんてたぶん読まない。某○帯よりも会話が長いなんて耐えられないと思うもん(『オブローモフ』はそんなことないですが。こういう主人公は好きです。久生も好きだったろうと思う。たぶんすごく)。


まあ読んでも理解できるかどうかというのは別の話ですし、翻訳で読んでるわけですから原文のニュアンスなんかはしるよしもないわけで。


とりとめない話をしているのは、再び逃避中ということです。
昨日、「黒執事」で大量に人がきちゃったようなので、今回はあんまりこなさげなネタにしてみましたよ(そうか?)
ところでドラマCDはキャストが違うんですな。沢城さんのシエルは比較的元気な子で、真綾ちゃんの憂いを聞いた後だと、陰翳のつけかたが違うなー、なんて思いました。