世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

志村ー、うしろうしろ!


ぼんやりしていると「ナリハラさん、あんなとこでこんなこと書かれてまっせ」と教えてくださる方がいらっしゃるのです。
たとえばここ。


http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090221/

鳴原のほうは、途中で、主人公が小説中では結婚しているが石井は生涯独身だったことに気付くというおかしな話で、どうもきちんと研究されていないようだ。

ふいた。
そりゃ、いわゆるレトリックってやつです。書いてる途中で「あれ、石井さんて独身だったの?」って気づいたわけじゃないよ(笑。ってか、そんなわけあるかい)。それは、「こんな小説を書いて“あれ。石井さんて結婚してたっけ”とめくらましをかけてるけど、実は独身なんだよねえ。なんのために自伝に、もっともらしい結婚話をもってきたのかね」という意味で書いてるのですよ。
まあ、私は研究者ではないので、どういわれようとかまわないわけですが。掲載された本も学術的な要素を極力へらすというコンセプトの本だったし、論文も紙幅の関係で半分の分量に減らされてしまったので、石井さん本人が小里さんについて書いた文章についてはかなり削りましたが、ネットや私の論文など読むヒマがあったら、『石井桃子集7』をお読みになればよろしいのに、ともう一度笑った。リアルふうちゃんの話、満載ですよ。
まあ、ずいぶんお忙しそうな方なので、石井さんが「あなたのお友達(パートナー・小里文子)によろしく」といわれるのは、男性がご婦人方に「奥様によろしくお伝えくださいましね」といわれるのと同じことなんだということも読みとばしてしまわれるだろうなあ、と思いつつ。平塚雷鳥吉屋信子に「千代さん(奥さん)によろしく」と書いて送るようなもんですってことにね。


ドリフのコントをみて、ほんとに志村が後ろに気づいてないと思うのはお子様だけであり、ふつうの大人は「コントだから、わかってやってんだよ」と知りつつもお約束として笑っているわけですよ。
この方が前者だったら(さすがにそれはないでしょう。こちらもレトリックに違いないよ! もしくは「私は人の悪口をいうのが商売で」とかさ)、もう一度笑うところだなあ。


と思ったらお返事が来ていましたよ。はやいなあ。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090227
もちろん私も、こちらの沼辺さんの文章は読んでおります。
http://numabe.exblog.jp/
つまり、名前こそ伏せつつ、石井さんはわりとまんま書いているということです。
(文子をふうちゃんて伏せてることになるのかどうかアレだが)
でも拙文の感想として石井さんからいただいた手紙には「ごにょごにょ」と書かれておりまして、優等生的内容でございました。


小里さんの男関係とか、作家として取材したなら異様な話ではないんですけどね。
そうでないからすさまじいんじゃないかね、という話で。
テキストにそって読むというのは論文の基本と思いますよ(笑)