世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

15日正午に黙祷してくださいっていうのは


そこらへんからの指示なんですか?
黙祷そのものはしますが、新聞広告なんかになっていると、なにか非常に違和感を感じるのですが。


私たちの世代は、「もはや戦後ではない」以降に生まれていて、太平洋戦争を直接知りませんが、いちおう母は、もう生まれていました。
しかし、敗戦時にまだ6歳でしたので、大空襲で逃げまどった以外の記憶なんてあるのかしら?と思い、「8月15日のことなんて、憶えてないでしょう?」ときいてみたわけです。
すると母は、「玉音放送」というのです。
私「よく聞き取れないし、内容がわからなかったでしょ?」
母「父と母……(私にとっての)おじいちゃんたちが、話してたから。それでおじいちゃんに“負けたの?”って訊いたら、“そうだ”って答えた」
私「まあそうだよね」
母「それから、“負けても、天皇って偉いの?”って訊いた。これは、なんて答えてもらったか、憶えてないけど。しばらく後になって、“戦争中は、偉いとしかいえなかった”っていってたけどね」
びっくりしましたよー。
疎開したり空襲にあったりで、幼稚園にすら行けなかった6歳児の女の子の口から、そういう台詞がスラっと出るということは、別に母が特に賢かったとかではなく、そういう雰囲気が周囲にあったということです。他の人もいってなければ、そういう空気がなければ、突然「エライの?」なんてききやしないでしょう。
戦争中は物もいえなかったなんていうのはウソーというのが、あらためてわかります。
今ちょっと、山中恒の『昔ガヨカッタハズガナイ』を読んでたりするのですが、私たちが教えられてきたもっともらしい近代史が、いかにウソだらけかで、いろいろびっくりします。 「昔から日本は核家族、子どもはせいぜい3人まで、今の家族とあまり変わりませんでした」と山中さんが何度あちこちで話しても、誰も信じてくれない、とかね。


語り継がなきゃいけないことって、ありますね……いろいろと……この時代もね……。