世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

東映公式「仮面ライダー電王」が最終回を迎えました


http://www.youtube.com/playlist?list=PLPtUVm4GBlyLG38D2RVDIXoC-hLctfE4X


半年間、毎週動画サイトで「電王」(2007)の再放送をみてたんですが。
これはもう「靖子ちゃんの力業」としか、いいようのない番組だなー、と。


いやあの、たいへん、面白かったです。
なんで本放送時にあんなに話題になってたのか、わかりました。
キャラが「立ってる」からです。
「これが私が見たかった関俊彦だー!」(もしくは「これこそ三木眞一郎だ♪」「このあたりが遊佐なんだろな」かもしれませんが)というものを、たっぷり見せてもらいました。
主役の佐藤健の熱演(未来から来たイマジンという霊体に憑依されるという設定上、一人で七役以上!)もあわせて、それだけでおつりがくるぐらいのものです。
「お約束」な類型であったとしても、感情移入してしまうレベルのものです。
アニメ脚本も多い小林靖子です、声優さんの使い方がうまいのは当たり前かもしれませんが、正直、「電王」での声優さんの活かし方は、誉められていいと思います。
もちろん声優さんに限らず、どの役者さんも、みていてほぼ、気持ちがいいものでした。


そして、みていた人たちが、どんな話か説明できなかった理由も、よくわかりました。
私がなんで本放送の時に「電王」を一度も見なかったかというと、「どんな感じ?」ときいた時、「電車に乗るライダーなんだよ」と、それぞれのキャラの決め台詞しか返ってこなかったからです。
何が面白いのか、さっぱりわかりませんでした。
しかし、今なら見ていた人たちの気持ちがわかります。
電王には、物語がない。
そこにあるのは、「個人の記憶が世界をつくる(なくなると物理的に消える)」「特定の時間に戻れる時の列車があり、特定の人間だけが乗れる」という設定と、キャラクターの相関関係だけです(主人公とイマジン、主人公の姉やその婚約者、店の客など)。
だから、どうにも語りようがなかったんですね。


小林靖子のオリジナル脚本において、おそらく「時間」は非常に重要な要素ですが(「未来戦隊タイムレンジャー」しかり、「仮面ライダー龍騎」しかり。「大切な人が亡くなって、なんとかして取り戻そうとした経験があるんですか?」と訊いてみたいぐらい、繰り返されるモチーフです)、この「電王」においては、さらにそれが顕著です。というか、それしかない。
「記憶=時間」という設定しか。


たとえば「龍騎」なら、神崎という科学者が、妹をむりやり生かすために、怪しいギミック(変身カード)をこしらえて、それをばらまき、人を操っていたという大前提があります。それも設定ではありますが、すべてはそこに収束します。諸悪の根源が滅びたら、世界はリセットされますので、話としては腑に落ちます。「龍騎」と「電王」のどっちが面白いかといえば、圧倒的に「電王」ですが、電王では「物語」は最初から崩壊しています。なぜなら、設定上、個人の記憶によって世界そのものが変わってしまうため、成立しようがないのです。
小林脚本が、このストーリーのなさをどう補完したかというと、それは「勢い」だけでした。状況にまきこまれて戸惑う主人公(とみている視聴者)に、ヒロインの「ハナ」さんは「いつか説明するから」といって、それだけで視聴者をひっぱっていきました。しかし謎は増えるだけ増えていき、そのひとつはとかれるものの、説明は、結局、最後までなされませんでした。
なぜなら、されるべき具体的なものが、電王には存在しなかったからです。


時の列車・デンライナー(もしくはゼロノス)は、誰がつくったのか?
誰が(どんな組織が)何の権限で、どういう力で時の列車を動かしているのか?
電車のオーナーや乗務員の存在はともかく、利用者が主人公以外にもいるし、駅にも人影がある、あの人たちはいったいなんなのか?
時間に支配されない「特異点」という存在は、どうして生まれたのか?
特殊能力がありながら、なぜそれを自覚していないのか? どうして「特異点」の能力があるにも拘わらず、自分の時間を失ってしまうケースがあるのか?
どうして未来からやってきた人間は「イマジン」という霊体になってしまうのか? なぜ特殊能力があるのか? 第一、未来とはどの時点からの未来なのか?
どうしていったん過去にタイムトラベルしてしまうと、過去の人間に憑依するのか、特定の人間と契約して、その人間にイメージされた形でしか姿を保てないのか? 契約が反故になると消えて(死んで永遠を彷徨う)のか? 自分で過去に飛ぶ力があるのに、さらに過去に飛ぶのにどうして別の方法が必要なのか? 
だいたい、なぜ、特定の個人の記憶が消えただけで、物理的に世界が崩壊してしまうのか?


いくらでも疑問はわいてきますが、それに対する答は、本編の中には一切でてきません。
それでも、電王は最終回を迎えて、一種の予定調和的な終わり方で終わりました。


これを力業といわなくて、なんといおう。


電王には、終盤「カイ」という謎の青年が登場します。特殊な能力をもち、時間を変える(もしくは崩壊させる)ために、主人公の時間へ、自分の手下のイマジンをずっと送り込んできていたので、彼を悪役とよんでもいいのでしょう。
しかし、イマジンという存在は、カイがうみだしたものではありません。それ以前から存在していて、中には犯罪者もいるわけで、すべてカイが操っていたわけではないようです。
むしろ、カイは自分の過去(記憶)を失いかけていたので、それを自分のもてる力で取り戻そうとしていただけです。
ゆえに、不気味な存在ではありますが、むしろカイは、この設定(システム?)の犠牲者です。
主人公組はカイと戦わねばなりませんが、神崎のように諸悪の根源ではないので、物語の要にはなりえない。そこから解説することができないのです。


普通の番組だったら、上記の疑問のどれかを中盤あたりでひとつふたつ説明して、物語世界のベースをつくり、そこからまた加速していくものだと思うのですが、「記憶がない=世界は存在しない(もしくは崩壊する)」という大前提があり、つまり、すべてが記憶のみでひっくり返ってしまうわけで、説明の意味がなくなる。ならば一切しないで「こういうものなんです」で押しきってしまった方がいい、と小林靖子は判断したのでしょう。


これを力業といわずして、なんといおう。


夜中に「電王」の映画版がやってまして、それを見たのが最初でした。
「あ、なんか面白いかもしれない」と思っていたところへ、知っている人から「電王が東映公式で始まったよ」といわれ、それで見始めたのでしたが。
それは、主人公の成長物語、ですら、なかった。


靖子ちゃん、満を持しての力業、堪能させていただきました。
途中、ヒロインが降板というトラブルがあったにもかかわらず、物ともせずに書き切っちゃうのが凄いよね。
マネできませんよ、これ。


だって、そこに物語はないんだから。


ところで、コハナちゃんて、いつどこで誰との間に生まれたの?
タイムパラドックスじゃないですよね?
未来の侑斗と愛理さんが会ってできた子なんだったら、桜井さんと同じ人生を送ることになって矛盾じゃないですか。なあデネブ?


●追記


なんか公式に設定解説がありました。
http://tvarc.toei.co.jp/tv/den-o/index.asp?action=category&key=note


しかし。
説明して欲しいところは、そこじゃない気がしますよ。
あと「イマジンの未来」って、ざっくりしすぎだし……。