●beco talk vol.13「吉祥寺で本屋をやってみたら 〜ミステリー専門書店「TRICK&TRAP」の1400日〜」戸川安宣さんトークショウ(インタビュー:空犬さん)1/24@西荻窪 beco cafe・レポその1
簡単に、当日のメモから、だいたいの内容をレポしてみようと思います。
長くなりますので、今回は前半部分までで(内容に重複・前後があるのはご寛恕ください。また、正しく聞き取れていない部分があったり、私の知らない情報があって書き間違えている可能性がありますので、そちらは教えていただけましたら嬉しいです)
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戸川安宣さんは、2003年3月、東京創元社会長として、日勤で仕事をしていました。1970年に編集者となり、社長時代には、社員の中の誰よりも本を出してたという、文字通り「伝説」の編集者でした。
2003年の半ばに、非常勤の編集顧問になりましたが、今までのように毎日、東京創元社に出社できない状況になりました。
その頃、吉祥寺に、ミステリーの専門店ができたというので、戸川さんは足を運びました。それまで、有名なミステリ専門店といえば、愛知県岡崎で中さんという方が運営していた「ネバーランド」、神楽坂の「深夜プラス1」などがありましたが、チェーン店に押されて撤退したり、何より、お店の半分は、普通の書籍やアダルト物を扱っており、純粋な専門店は存在していませんでした。
しかし、この、2003年春に吉祥寺にできた「TRICK+TRAP」というお店は、いちおうSFも扱っているものの、本当にミステリ100パーセントのお店だというので、戸川さんは興味をひかれて、足を運びました。
海外の有名なミステリ専門店では、黒衣のマダムに黒猫のマスコット、というのが定番ですが、このお店にも茶色ですが、マスコットのネコがいました。
そして、こちらの店主、小林さんは、料理研究家、小林カツ代さんの娘さんでした。カツ代さんは、この近所に調理器具のお店を出しており、そのお店がなかなか繁盛したので、吉祥寺にもう一店舗だしてみようということになり、娘さんが「ミステリの専門店をやりたい」というので、ワンルームマンションの一室を借りて、9坪の小さな書店を開いた、ということでした。
ホームズの横顔の肖像を窓に出すなどしていましたが、近所の人も「こんなところに本屋があったの?」状態でした。
他の居住者の邪魔になるので「階下に看板を出してはいけない(どこから入ればいいの)」「通行を妨げる物を一切置いてはいけない(お店の前にも看板が出せない)」「ドアを開けっ放しにしていてはいけない(店内が見えない)」という条件を大家さんから出されていたので、認知されようがありません。地図を目当てに来た人も「ここなの?」「営業中なの?」状態なわけです。
小林さんは、天空に通じるドアがつくりたい、と、天井を改装してドアをはめ込んだり、凝った店内にしていましたが(TRICK+TRAP閉店後、お店は二回ほどかわり、現在はエステになっているそうですが、まだ扉がついているかどうかはわかりません、とのこと)、9月頃、第一子を妊娠中で、大きなお腹で大変そうにお店をやっていました。
ちょうどその頃、戸川さんは非常勤になったため、「土日ぐらい、お手伝いしましょうか」と小林さんに声をかけました。なにしろ会社に週1、2日しか行かない状態でしたので、そのうち平日も手伝うようになり、週4、5日、TRICK+TRAPに通うようになりました。
その後、小林さんは産休に入りましたので、2004年2月から、戸川さんはフルタイムで、一人でお店をやるようになりました。津田沼から電車で通っていたので、交通費だけはもらう形でやってました。なぜなら、まともな給料をもらえるほど、本が売れないからです。ミステリ専門店の運営は、戸川さんの編集者としての実力、本屋通いのキャリア、その豊富な人脈をもってしても、大変なものだったのです(ちなみに、店名は小林さんがつけたので、どういう由来かは不明だそうです)。
なにしろ9坪です。入り口はキッチンとシャワー室なのでその前にカウンターを設置してレジを置き、窓をひとつ潰して、壁際にぐるりと本棚を置き、中央にも置き、小さいソファーとテーブルを置くと、おける本は6000点が限度です。当時、ミステリ専門誌といえば、HMMとEQぐらい、なので新刊メイン、すべて和書が並んでいました。
小林さんは素人ですから、トーハンを取り次ぎにして本をいれていましたが、このお店ではトーハン主導のやり方では売れないのです。普通の本屋で売れる、東野圭吾の新刊や赤川次郎、内田康夫などは、まずでません、当時講談社文庫でしきりに出ていたコーンウェルも、新刊は売れません(クリスマスにでる新刊はだめで、何冊か前の、他の本屋でおいていないようなのが売れる)。そんなわけで、翻訳や既刊も入れていかなければなりません。
とにかく専門店なので、マニアなお客さんがきます。10人のうち2人しかコーンウェルを読まない。むしろ、2冊売れたらベストセラーというような状態で、ほんとうに1、2冊しか、売れていきません。
したがって、トーハンからの仕入れをやめ、100パーセント注文でやることにしました。
しかし、この方法は大変でした。
まず、本が、来ません。
普通の本屋は、毎日、一度か二度、取り次ぎから本が届きます。
しかし、小さい本屋では、トーハンにある、その本屋の用の棚に本がいっぱいにならないと、届けてくれないのです。
一年後、戸川さんは在庫をすべて返し、お店のリニューアルをしますが、新規オープンする店は、この新規在庫を揃えることが、いちばん大変だそうです。
本来的には、数坪規模の小さな本屋さんは、資金的にも苦しく、口座も開けない状態なのですが「書店開発」という、取り次ぎとの間に入るところがあり、そこが小さな書店をまとめてくれて、なんとか成立しているようです。
とにかく認知してもらうために、作家さんたちに協力を頼みました。
同人出身の霞竜一が来てくれるようになったので、本を取り寄せてサインしてもらい、「サイン本あります」といって売るようになりました。
また、若竹七海さんはお店を舞台に短編を書き、コピー誌で100部(50部?)ほど作成、お店で頒布してくれたようです。
お店の品揃えはとにかく、お客さんの反応を元に、それぞれ嗜好の違うお客さん相手に売る物を考えていかなければなりません。目録などからできるだけ早く注文し、企画なども考えなければなりません。
定期的に営業にきてくれたのは早川書房の人だけで、その頃、クリスティーは「クリスティー文庫」というトールサイズの文庫が出ていたのですが、やはり通常サイズの物が欲しい、揃えたいという声があったため、ハヤカワミステリ文庫に入っていた「クリスティーの文庫の在庫を、全部持ってきて下さい」と頼むと、「他の本屋さんでそんな注文の仕方、されたことありません」といわれたとか。
しかし、本屋さんとしては特色をださなければいけません。新刊が出ないのですから、既刊のラインナップで勝負しないといけないのです。
ミステリの初心者にはホームズが売れますし、エラリー・クイーンやクリスティーをすすめることもあったそうです。
ミステリ専門店をやって、編集者時代には予想もしなったこととして、男女の客数は6:4で、男性が多いと思いこんでいたのですが、実際お店をやってみると、7:3で女性の方が多かったとか。カップルで来る場合も、女性が颯爽と入ってきて、男性がその後をおずおず入ってくるというケースが多い。古本メインでもないのに成立しているのはすごい、と丸善の店長にもいわれたとか。ただし、お金を落としてくれるのは男性客で、ついでに何か買っていってくれることが多いのですが、女性客は目的の物を一冊、というような買い方が多いとか。
編集者からいきなり書店員になったことで、苦労はなかったのでしょうか、という空犬さんの質問には、「読者として十年、創元推理文庫を十年つくってきて、会社通いの傍ら、週に最低2、3日は本屋に行く、本屋も通り道の3軒ぐらいは覗く、ということをやって、様子を見てきていたので、普通の営業や編集者よりは、すんなり入れたのではないかと思います」とのことでした。
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この続き、戸川さんの苦労+企画やイベントの話は、また後日!