世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

語るすべを私はたぶんもっていない、が。


とりあえず、文学フリマで買ったこれを、読んでみました。


『裸の女の肖像』



神林長平じゃありませんが、いわゆる言葉の上っ面でイメージを重ねて何かを浮かび上がらせる本らしい、ということで、興味を持ちました。
「女」にまつわる俗なイメージについて200文字の短編で100本書き上げてみた、という企画連載本です。露悪的であることは、最初からはっきり呈示されており、後書きでも作者ご本人がそう書かれています。おそらくは普段の秋山さんの作風よりはじゃっかんダークめ、ということなのでしょう。確かに、淡々とした作品群ではないです。


が。


後味の悪い本ではありません。


なぜかというと、秋山さんご本人が、大変、フラットな方だからです。


対象に淫していない、ともいえるかもしれませんが、書いているご本人に女性嫌悪がないのが伝わってくるので、読んでいて「なんだとう!」と腹が立つことがない。俗なイメージをどう処理するか、というカタログにもなっていて(寓話であったりSFであったりホラーであったり青春物であったり)、守備範囲の広さを感じさせます。
ある意味、作者の本質が出ている気がします。


面白かったです。


で、なぜ、私が秋山さんの単著を読む際に、これを選んだかといいますと。


ご本人が忌避してきたもの(既婚だそうですし、女性嫌いだというお話もきいたことはありません、モチーフとして、という意味です)を、あえて俗に書いてみたというなら、「きっととっつきやすい。たぶんわかりやすい」と思ったからです。


実は、『幻視コレクション緑』こと、『想い焦がれる追憶の彼方』で編集者としての秋山さんと話した時、秋山さんの話していることが、私には、半分以上、理解できなかった。


(以下は電子書籍版リンク↓ 紙版もまだ、在庫が少しあるようです)


秋山さんのいう「面白い物語を提供したい」というコンセプトはわかるのですが、では、秋山さんは「私にいったい何(どういう面白さ)を求めているのか?」ということが、さっぱり伝わってこない。


焦りました。


これは年齢差のせいなのか?
わたしが読めない層の本を読んでいる世代(メフィスト以降)だからなのか?
単純に、私の頭が悪いのか?


秋山さんは、実は、十数年も前から私の本を読んでくださってまして(Aちゃんの途中あたりからだそうです。商業誌も買ってくださってます)、私の作風は承知しているはず。


で、なんでこんなに、話が通じないんだ!


割と最後まで、焦っていました。


なにしろ、思いもよらないダメだしがふいに来たりするので、「こ、これはよほど親切に丁寧に書けということか!」と、そこそこ作品の補強をして提出しましたが、正直、今でも、秋山さんがどこを面白いと思ってくれたのか、わかっていません(本気)。


秋山さんのフラットさは、本来の性格的なものと、職業柄鍛えたものから来ているものだと思いますが、その、誰彼なく声をかけていく恬淡な様子(一時期など「オレンジ王子」などと呼ばれて、若いお姉さんたちのアイドルと化していた)は、あくまで対人関係上、そう見せかけているだけで、その奥に虚無的なものと深い孤独と、意外な野心を抱えているらしいことは、最近、すこしだけ、わかってきました。


つまり、私はまだ、秋山さんの裸の顔を、知らないのです。


ここに並べられた「裸の女の肖像」の向こう側にいる、誰かの正体は。


●ちなみに『幻視コレクション 想い焦がれる追憶の彼方』は、手前味噌ではありますが、大変面白い、バランスのとれた短編集です。現在クリスマスセール中らしいので、キンドルをお持ちの方は、お早めにお試しください♪


●あと、メフィストから出てきた人を否定してるわけではなくて、辻村深月殊能将之は読めますし、この二人の作風はけっこう好きです。ただ、平成以降の作家さんの書いている物がよく読めなかったり、絶賛されていてもその面白さがよくわからない、ということが、たびたびある、という話です。