世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

世田谷文学館、行ってきました。


天気が心配だったんですが、植草甚一の有名な本に、『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』という一冊があるわけで、降られても仕方がないや、と言ってみました。
芦花公園、微妙に遠いんですけどね。

http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html


開館20周年記念 植草甚一スクラップ・ブック


2015年4月25日(土)〜7月5日(日)
[会場]
世田谷文学館2階展示室
[休館日]
月曜日 ※ただし5月4日(月・祝)は開館し、5月7日(木)は休館


概要


 外国の映画・文学・音楽に精通し、各分野の新人・新作・新傾向を独自の視点で取り上げた植草甚一(1908〜1979)は、専門家や好事家だけでなく一般読者の興味も喚起するような、独特な語り口をもった文筆家でした。


 1948年に東宝を退社したのち本格化させた文筆業の領域は、映画、ミステリーにはじまり、モダン・ジャズ、カウンター・カルチャーなどへと、ジャンルレスに広がっていきました。本人は「雑学」と呼んだ海外の幅広い文化の紹介者となった植草甚一は、1960年代後半から70年代にかけ、団塊の世代の若者から熱烈な支持を集めることとなります。
 また、その文体も初期の評論から変化し、1960年代には植草流とも呼ぶべき特異なスタイルを築きました。終生買い続けた大量の洋書・洋雑誌、そして都市の散歩の中から切り取られた事象が、独特な意識の流れによってつながれていく文章は、植草甚一のもう一つの側面、コラージュの名人としての手際にも一脈相通ずるところがあるといえるでしょう。


 植草甚一の没後、4万冊を超える蔵書は古書店が買い取るなどして整理され、その他の遺品も、展示即売会が催され鉛筆一本に至るまでファンの手に渡りました。
 しかし、2007年に当館で「植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス」展を開催したことを一つの契機として、ご遺族や関係者から関連する品々をご寄贈いただき、さらに2013年には、かつて出版社の倉庫に保管されていた大量の品を、ご遺族よりご寄贈いただきました。スクラップ・ブックやノート約240点、草稿や原稿約50点、日記約30点を含む当館の植草甚一関連コレクションは、図書・雑誌、写真類も加えると、総数1,200点以上になります。


 本展は、〈映画〉〈文学〉〈音楽〉〈コラージュ〉〈雑学〉〈ニューヨーク〉〈ライフスタイル〉のカテゴリーに分けて主要コレクションを披露する、過去最大規模の展覧会です。1930年代のスクラップ・ブックから晩年のノートにいたるまで、日々の営みから生まれた品々を通じ、散歩や買い物や「勉強」を生涯一貫して徹底的に楽しんだ、植草甚一の独創的な生き方に迫ります。


正直、ざっと見ただけでも、空いてるのに、2時間ぐらいかかりました……。
生原稿が読みやすくて、読んじゃうんですよ。
あと、最後に、植草甚一が最晩年に夢見た「三歩堂」っていう企画古本屋さんが再現されているコーナーがありまして、植草さんのコメントと本が実際に読めるんですよ。これ、かなり凄い。ここだけは、撮影も可なので、写真をとりまくってもいいかもしれません(今回、デジカメもっていかなかったので撮りませんでしたが)。


正直、植草さんの紹介文を見ると、どの本も面白そうで欲しくなってしまう。
なんでもない身辺雑記のはずなのに、スルスルと読まされてしまう。
だてに、東宝で広報やってた人じゃありません。
前に別の展示でみたものも、また見てしまう。


個人的には、大入り袋に描かれた幾何学模様のコラージュ作品が一番、素敵だなあと思いました。すごく楽しんで描いたんだろうな、という。


しかし、日曜日なのに、あんなに空いていていいのだろうか。
「若い人は植草甚一を知らないからか?」とも思ったのですが、けっこう若い人や家族連れがいましたので、本当に謎。
企画のある日か、無料の日(6月6日)にくるつもりなのかな?


『グレイシイ・アレン』は、まだ少し残っていました。
書肆盛林堂さんでも、本来的なカバーバージョンがまだ売ってますね。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/75/p-r1-s/


一生の間にあれだけ本を読み音楽を聴いた人だからこそ、あれだけの本を遺したんだ、と思うと、ちょっと震えが来ました。
何かの第一人者になるというのは、こういうことなんだよな、と。
自分が知らないことでも、読んで栄養分になる文章というのは、こういうものか、と思いますよ。ええ。