某寝太郎さんのブログの記事ですけれども。
http://mainennetaro.blog.fc2.com/blog-entry-653.html
もし僕が、全く知らない相手のことを知るために十の質問を作るとしたら、やはり「神(ないしはそれに相当する存在や概念)を信じるか否か」は必ず入るだろうと思う。けれども、神は、信じるか信じないか、それだけでいいと思うのだ。ロジックを以って誰かに納得させようとするようなものではない。
(中略)
それで、「あなたは何か特定の宗教を信仰してる?」「いや、何も。日本人はだいたいそうだよ」というようなお決まりの展開になって、まあボーっと話していたところ、「テーブルやパソコンは人間が作ったでしょう。じゃあ人間は誰が作ったの?」と一歩踏み込まれた。
率直、嫌だなあ、と思った。
もちろん彼は「神」という答えを持っているし、おそらく僕以前にも多くの人に投げかけてきたクエスチョンを軽い気持ちで繰り返しているだけなのだろうが、そこにほんの少し、「自分はただ信じているだけじゃない、ロジックを携えているんだ」という自負のようなものを感じた。実際はロジックなんてものとは程遠いのだが。そしてそれを目の前で披露されるということは、多かれ少なかれ論争を仕掛けられているに等しい。
僕だって人間や生命が物理化学の偶然的な反応から生まれたとは思っていない。それはどうしても無理がある。だからと言って、「この世に作れないものがあったら、どうして神が作ったことになるの」とか「そもそも神ってなんなの」とかいうような、不毛な、哲学や宗教学を一からなぞるような論争は誰も望んでいない。旅行者同士の会話において、踏み込んではいけない一歩だと思う。
こういうときは一体、どうすればいいのだろうか。そんなこと考えたこともないよというような顔で「I don't know.」と言うのが大人なのだろうか。
すごく正しい宗教観だな、と思って……。
「率直、嫌だなあ、と思った。」
のところに一番共感しちゃったんですけどね。
宗教って、本来的に、ロジックじゃないもんね。
そしてこれ、宗教に限った話じゃないもんね。