世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

ハンセン病が一番日本で差別されてたのは昭和時代!


丸島和洋さんの本をざっくり読んで、なるほどーと思うところをメモしてたんですが。


彼は、大谷さんは「ハンセン病じゃなくて、ほかの皮膚病なのでは」説なのです。
一時期、具合が悪くなって表舞台から引っ込むけれど、晩年にまた復活してきているから、というのです。
「白頭」って名乗っていたのは、白い頭巾で顔を隠してたんじゃなくて「若白髪」を自称していたのでしょう、と。


うん。
ほかの病気の可能性は、もちろんあります。
この時代、進行を食いとめることはできても(ダイフウシという油で)、治す薬はなかったので、復活してくるのは難しい気はします。若白髪も、ありそう。


ただ、「日本では近年まで「らい予防法」があったぐらいで、ハンセン病は差別されていたのに、大谷さんは忌避されてた記録がない」と書いているのは、ちょっと気になります。一時期、大谷さんの下屋敷は、中心部から遠ざけられていたのに。


たしかに体表からむしばまれていって、見た目も悪化する病気ですから、好かれることはないでしょう。
でも、昔の日本では、そこまで差別されてなかった。
うつる病気とも思われていなかったし(感染力がとても低い)、神社仏閣のそばに集落をつくって、普通に住んでいたりした。
物語に出てきて、悲劇的な小道具に使われることはあっても、病気物のバリエーションでしかなかった。


日本での差別が深刻化したのは、近代です。
「どうやらうつる病気らしい」「西洋ではあんなに堂々と患者が神社仏閣とか道をうろついてない。日本がみっともないと思われる」という政府筋の考えで、強烈な隔離政策が始まってからです。
なぜ、戦後、プロミンという薬が入ってきて、治る病気になったにもかかわらず、隔離を続けたかというと、その隔離のやり方がすさまじく、療養所の実態もひどいもので、あげくのはてに、患者をこき使って死なせたり、惨殺したりしていた事実があるからです。患者が高齢化して死んでくれれば、生き証人はどんどん消えていきますから、延々と隔離し続けたわけです。
現在のハンセン病は、軽ければ数日、重くても二週間程度で治る病気ですから、隔離の必要なんてありません。
結核と違うのよ。


以前、ここでも書きましたけれども、大嶋得雄さんの『聖書のらいに取組んで』の話。
大嶋牧師は、国立ハンセン病療養所・長島愛生園内・長島曙教会に赴任して、患者さんからの問いかけに真摯に向き合い、「聖書で「らい」と書かれている状態は、ハンセン病の症状と違うので、原語の「ツァラアト」で表記すべきです」という運動をされたわけですが、徹底的に妨害されるのです。
それは、なぜか?
もちろん、都合が悪い人がいて、その人(どうやら、協力者のうち、2人の大物が存命中のようです)たちが圧力をかけてくるわけです。
ゆえに、正論がまったく通らない。


そんなわけで、差別は昔に始まったことでなくて、つまり、昭和の暗部なのです。
http://ww1.tiki.ne.jp/~uruooosima/


簡単に入手できて、ざっくり日本のハンセン病の歴史をふりかえれる本はこちら。


「戦争とハンセン病


貴重な証言が記録されているので、興味のある方はぜひ。


しかし。


大谷さんの、白頭巾の公式記録って、ないのか……。
板輿にのってる絵はあるのにね。
あと、秀吉の茶会で、大谷さんの後の人がお茶を飲みたがらなかったエピソードは、あれは、忌避されているうちに入らないのか……創作だからっていわれそうだな。


●追記:


ご本人からお返事をいただきました。

丸島和洋 ‏@kazumaru_cf
貴重な御感想をいただき、ありがとうございました。その場合、中世の「癩者」が「非人」階層として位置づけられ、「穢れ」として忌避対象となっていたことはどう理解すればよいのでしょうか。

「癩者」が寺社周辺に居住したのは、いわゆる鎌倉新仏教教団(旧仏教改革派含む)が、「非人」救済に力をいれたためですが、それは「非人」の組織化と同時進行で、「穢れ」た行為である遺体処理が求められ、結果として差別の再生産を生んだのですが。


差別の再生産がされていたのはわかりますが、本当に「らい」が、すべて忌避されていたのなら、たとえばかつて、草津温泉で集落をつくっていた人たちは、どうなんでしょうか?とお返事してみました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006614692


ご専門なので、ご存じかとは思いますが……。


●再追記:丸島さんとこの後もやりとりさせていただきました。私の誤読についても指摘をいただきました。
丸島さんのツイートにある、「中世の非人」はその後の「非人」とはまた違う存在で、差別がだんだん重くなっていたという理解をしたのですが、これも誤読だとしたら申し訳ない。
同じ言葉でも同じ重みで読んでしまってはいけないということですね。
これこそ「今からはかっちゃいけない」わけです。


行き違いと誤読のために、いろいろと失礼なことも申し上げました。
おもしろかったからこそ、わいてきた疑問なので、ご寛恕いただけたかわかりませんが、こちらでお詫び申し上げます。


あと、大谷さんのデータベースをつくってらっしゃる人からもご意見いただきました。
情報をお持ちの方はこちらへ……!
http://ootanidatabase.web.fc2.com/