世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

私なんかよりよっぽど、若い女の子の方がミステリ読んでる。

女オタにおける本格ミステリブームはどこから発生したの?推察まとめ
http://togetter.com/li/980263


これについては、私は、語る資格がまったくありません。
なぜなら平成以降の作家をちゃんと読んでないから……。


ただ、ミステリに限らず、文化に分断があるだろうことは、なんとなく予想できます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160411-00010001-socra-soci
小学生にとってハリー・ポッターは古典/ いま、大人が子供にできること(1)


 と考えたら、彼らは1995年生まれの子どもたちだった……。そう。ウィンドウズ95です。


 パソコン以前と以後では何かが変わるだろうとは思っていた……思ってましたけど、こんなにもはっきり一番かけ離れたところにあると思っていた文学に現れるとは思っていませんでした。


 そうして一度そうやって文化が切れてしまうと、次の文化が生み出されるまでにはどうしても六年から八年かかってしまいます。子どもは自分で文化を生み出すことができませんから(作家になって物語を紡ぎだせるようになるには、どうしても16歳までかかるので)。


 つまり変化直後のいまの二十歳以下の子どもたちは、自分の文化が持てなかったのです。


 しかたがないのでそういうときには大人の本から読めるものを抜いてきて読むことになります。


 それが“有川浩”“東野圭吾”“山田祐介”の三羽烏でした。


この三羽がらすに異論のある人もいるかも、と思いますが、ここ20年の流れはそれまでと違うというのは、なんというか、わかります……ないものは、読めないから。


正直なところ、オタクに限らず、たぶん、普通の若い女性の方が、私なんかよりよっぽどミステリを読んでるし、刑事ドラマなんかもせっせと見てるし、正しく消費してると思います。
いくら本が売れない時代とはいえ、活字を読みたい人はやっぱりいるわけで、そして、現在出版されている本を読むしかないわけで、そうすると、ミステリ読んだり見たりすることになるわけです。


そうすると、ミステリプロパーの人たちって何なんだろう、という疑問が、ふつふつとわいてきたりします。


私が初めておもしろいと思った東野圭吾は『名探偵の掟』だったわけで、しかもそれは私だけの評価ではなくて、彼の再評価のきっかけになった本だときいてます。
つまり、些末なことより、ジャンルとしてのおもしろさ(とかジャンルへの愛)とか、キャラたてのおもしろさとか、そういうことを考えた方が、生産性とか、今後の展開があるんじゃないのか、って思ってしまうんですよね……。


古くさい人間な上にプロパーでもないので、何をいってもアレですが。


あ、拍手ありがとうございました!


私など、先日のお礼も申し上げないままで……。