世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

言語化したくないから小説を書いてるのかもしれない

私はふだん、自分に身体があることを忘れていますが、体調が悪くなれば当然、それまで出来ていたことがてきなくなって、具合の悪い自分に直面せざるを得なくなるわけです。その状態を、自分の中だけで言葉にしている時は、さほど動揺せずにすみます。文章に起こしても、自身が読んでいるぶんには、そう衝撃を受けずにすみます。さらにそれをフィクションに包んでしまえば、さらに痛みは遠のくわけです。それで、だいぶ平気になります。

 

ところで、自分の状況を関係者に説明しないといけない時があります。苦手なのであまり進んでやらないのですが、相手に迷惑をかけるとわかっている時は、話さざるをえません。そして、話し始めれば(すでに自分の中でまとめてあることであれば)、話すことはできるんですが、その時、ものすごく動揺するのです。「え、これ自分のことだよね?」と思う。心の外に置いていた不安が現実として戻ってきて、とても落ち込みます。

 

そうか。見たくないものがあるから、書いているのか。

 

言葉って、他人に伝えるための道具のはずなんですけどね。

 

☆今日のメモ

 

日本初!?「忍者部」ってどんな部活なの? :: デイリーポータルZ

だいぶ前の記事なんですが、青森大学にある「忍者部」の紹介で、突然「石田三成の次男・重成が弘前まで落ちのびてきていて、その子孫が忍者部隊を結成したようなんですよ。」とかパワーワードが出てくるのでびっくりして……。

どうして青森で忍者が活躍していたかというと、蝦夷地(北海道)の監視で、幕府の命令で、アイヌ松前藩の戦いの諜報活動などをしていたとか。

 

ああー、シャクシャインの戦い!(1669年。当時の北海道を支配しようとしていた松前藩に対し、先住民のアイヌたちが蜂起した戦い)

そこに石田三成の子孫や忍者が絡んでたなんて……漫画になりそうないい題材ですね。

 

 

石田三成の子孫が江戸幕府の命令っていうあたりでもうなんかいろいろねじれてていいですね。まあ確かに青森に子孫の人たちいるというのは割と有名な話らしいんですけども。