私はふだん、自分に身体があることを忘れていますが、体調が悪くなれば当然、それまで出来ていたことがてきなくなって、具合の悪い自分に直面せざるを得なくなるわけです。その状態を、自分の中だけで言葉にしている時は、さほど動揺せずにすみます。文章に起こしても、自身が読んでいるぶんには、そう衝撃を受けずにすみます。さらにそれをフィクションに包んでしまえば、さらに痛みは遠のくわけです。それで、だいぶ平気になります。
ところで、自分の状況を関係者に説明しないといけない時があります。苦手なのであまり進んでやらないのですが、相手に迷惑をかけるとわかっている時は、話さざるをえません。そして、話し始めれば(すでに自分の中でまとめてあることであれば)、話すことはできるんですが、その時、ものすごく動揺するのです。「え、これ自分のことだよね?」と思う。心の外に置いていた不安が現実として戻ってきて、とても落ち込みます。
そうか。見たくないものがあるから、書いているのか。
言葉って、他人に伝えるための道具のはずなんですけどね。
☆今日のメモ
日本初!?「忍者部」ってどんな部活なの? :: デイリーポータルZ
だいぶ前の記事なんですが、青森大学にある「忍者部」の紹介で、突然「石田三成の次男・重成が弘前まで落ちのびてきていて、その子孫が忍者部隊を結成したようなんですよ。」とかパワーワードが出てくるのでびっくりして……。