世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

推しの順位・裏話

オカワダアキナさん編集のアンソロジー『BALM』。

【予約】掌編小説とエッセイのアンソロジー BALM(青盤) | ザネリ

 

こちらに寄稿した作品の中に、エッセイ「推しの順位」というのがありまして、その裏話を書こうと思っていたのですが、どうもまとまらない。とりとめのない文章になりましたが、ある程度書けたので、以下、公開します。

 

☆☆☆

 

「推しの順位 裏話」

 

文中に出てくる人物をすべてイニシャルにして伏せているのには、深い意味はないのです。カタカナの名前を書くと長くなって、文字数制限をこえかねないということ、あと、なんとなく軽々しくなりそうなこと、ファンであることをアピールする文章ではないこと、それ以前に彼らのことを書くときに、いつもイニシャルで略していたというのがあります。普段はMN、MD、P、Dと略してますが、このエッセイでは更に縮めるために、N、D、T、Jと名字だけにしてみたという(なのでこの裏話の方では、私の普段の略称の方で書きます。わかりにくくて申し訳ない)。

 

そんなわけで、この「推し」の正体も、あえて隠したというのではありません。The Monkees(モンキーズ)の、マイク・ネスミス、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークデイビー・ジョーンズの話です。ただ、こうして書いてみたところで、今の若い人にその名前がどれぐらい通じるのか、というのも、割と謎なので。

 

文中にも書いたように、六十年代末に全世界を席巻した人気アイドルグループです。当時の言葉で言えば、「彼らの番組が放送される時間帯は、銭湯の女湯がガラガラになった」(みんな家に帰ってテレビをみていたという意味)という人気っぷりで、日本でもかなりの人気があったそうです。私の二回り年上の叔母も、彼らのファンだったとか。
The Monkeesは、アメリカで、ビートルズに対抗するバンドをつくってやろう、という企画によって生まれたバンドです。オーディションで選ばれた四人組で、そのうち二人はミュージシャン、二人は子役上がりの役者、三人がアメリカ人で一人はイギリス人という構成。
彼らの名前を冠した番組「ザ・モンキーズ・ショー」は、売れない(架空の)バンドの四人組が、海辺の家で共同生活をしながら、ドタバタにまきこまれて、それを解決したりしなかったりするコメディー番組でした。バンド物といっても、その内容は、売れるためにオーディションを受けたり、テレビに出演する話や、ありがちなロマンス話だけでない。西部劇や、SF、童話を含むファンタジー、政治物までバラエティーに富んでいました。番組の中に彼らが歌を歌う場面が必ず挿入され、見ているファンは「あの曲だ」と買うわけで、まあ、ショウが面白ければ売れるわな、っていう仕組みです。ただ、アイドルとはいえ、歌も時代を反映していて、デビュー曲「恋の終列車」も、実は反戦歌だったりした(ベトナム戦争の時代です、歌っていたMDの徴兵忌避が問題になったりもしたとか。彼は自分でも反戦歌や怖い曲を書いていますけども)わけですが、ロングヘアの若者が不良ではなく(ロングといっても髪が襟足まであるってだけのことで、今は刈り上げてる方が不良扱いですけど)、よき隣人として牧歌的に暮らしているというのは、いろんな意味で衝撃だったそうですよ。

当時はビデオ機器もなかったので、カセットテープに番組を録音して台詞を聞き返したりしていました。暗唱している場面もあります。例えば「モンキー市長」にでてくる悪徳政治家の秘書の台詞を、私の某BL小説のアラブ王のお兄さんが口走っています。原語の台詞を簡潔に訳してあって、素晴らしい台詞だと思うんだ、あれ。

 

ショウの中にはシナリオのない、おふざけのドタバタシーンも挿入されていて、それがひとつの味わいになっていました。「おまえは子どもだな、シナリオがないなんて嘘に決まってるだろう」とよく笑われたものですが、これが嘘ではなかったことが、最近わかったのです。彼らのオーディションフィルム、Youtubeに普通にあがってるので、ちょっとみたことがあるんですが、MN、部屋に入ってくると、そこにあるタンス(書類入れ?)にまっすぐ向かっていって、いきなり引き出しを開けて中をのぞくんですよ。挨拶や自己紹介をするどころか、相手の顔も見ない。それが番組中によくあるアクションと、ほぼ同一だったので、演技の指示をされての行動だと思っていたのですが、実はなんの指示も出されてなかったんだそう。それであれ? マジキチじゃん? MNは当時すでに既婚で、子どもがいることも隠していなかった(番組中にも妻と長男の名前を言う場面がありました)わけですが、子どもでもしないようなことをしてたという。いやまさか、あのドタバタが彼の素だったなんて。怖すぎる。本当に怖い。

 

彼らは私が生まれた頃のグループなんで、曲を聴いていないはずなんですが、実は小さい頃から知っていました。子どもの頃にやっていた「ひらけ!ポンキッキ」、当時はリトミックなどに力を入れてる前衛的な番組で、立体図形がぐるぐるまわるミニコーナーに、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」とかモンキーズの「カドリー・トーイ」とかドアーズの「ハートに火をつけて」とか重ねて流していました。なので「あ、あの曲だ」と後でわかった。
それでまあ主体的に聴き始めたのは、八十年代のリバイバルブームの頃です。モンキーズ・ショーが再放送されていて、「面白い番組があるよ」と教えてもらった。テレビ東京の「おはようスタジオ」でも毎週のように彼らのことが特集され(最低でも月一回はやっていて、彼らの生音声が流れされたりもしました。これを見るために家から近い高校に進学したのです。その頃にはもう特集されなくなっていましたが)、アルバムもほぼすべて再発売されて購入可能でしたし、日本未公開だった唯一の主演映画が公開される勢いで、電車にのって友人と渋谷まで観に行きました。駅の連絡通路がうまるほどの大行列だったんですよ、信じられます?(東急文化会館も連絡通路も、今はもうないですけども。結局、渋谷にある大学の英米文学科に受かって、そこを再び歩いて通ったんですけどね)。当時はそこまで人気があったので、本来的な世代でない、私と同世代の人も、知っている人は知っているはずなのです。
ただ、もう少し下の世代の人も、彼らのカバー曲は聴いたことがあるはずなんですよ。忌野清志郎が「デイドリーム・ビリーバー」をカバーして、セブンイレブンのコマーシャルで、たいぶ長いこと流れていたので。

 

中学生の頃はそれでも、情報があまり入ってきませんでした。

再発売された写真集に掲載されたことぐらいしかわからない。インターネットで調べるなんてできない時代なので。彼らの映画を自主上映する会に行って、公式でないファンクラブに入ってみたり、同人誌を買ってみたり(私が初めて買った同人誌は洋楽ナマモノ。私も彼らの映画のワンカットを二次創作に仕立てたことがあります。サイトで公開もしてます)、共同輸入にのっかって、MNの会社から出た彼のアルバムやグッズを買ったりしてました。船便で一ヶ月もかかってようやく届いたレコードが、プレスミスの両B面だったりという、けっこう愉快な思い出もあります。アコースティック・ギターのアルバムだったので、高校生時代にちょっと耳コピしたりもして。まあ彼らの曲を全部歌えるかというと、今はさすがに歌えない。中学三年の春、手に入るアルバムの数百曲の歌詞カードを全部、辞書を引いて訳して(もちろん誤訳だらけ、内容がわかっていたわけでもない)、数千時間歌いながら聴いていたので、歌詞カードがあった曲は歌えます。でも、なかった曲は歌えないし(もちろん音だけで覚えていて、そこそこ歌える曲もなくはないんですけど。でもゴーイン・ダウンとか歌詞カードあっても歌えなかったろうな。本人が手こずってたんだから)、あと、当時リリースされず、後から知った曲は、「いい曲だな」と思っても、なかなか覚えられない。十代の集中力と記憶力はもう残ってないわけです。そして情熱も。

 

さて、インターネットの時代になると、Youtubeに知らない曲がアップされてるのに出くわしたりします。本来なら公開されないオーディションフィルム、ブートレッグ、海外番組のインタビュー、ビデオが入手できなくて見られなかったPV(「The Elephant Parts」。グラミー賞をとってるんですぜ)。
いろいろな情報をアップしてくれる人もいます。
私が最近読んでいるのはMoさんという方のnoteですが、大変よくまとまっていて貴重なブログなので、いつまでも無料で公開されていて欲しい……この人のブログのおかげで買ったアルバムもあるので。

Mo|note

https://note.com/mo_coffeemusic

 

ただ、情報が入ってくるというのは、いいことばかりではない。

 

彼らが、プロデューサーのドン・カーシュナーと不仲で、彼の支配を逃れるために頑張り、三枚目のアルバム以降、四人が主導権を取り戻していったということは子どもの頃から知っていました(私の洋楽の師匠であるXさんが同人誌で書いていた)。暴走するプロデューサーの操り人形にされてたまるか、という矜持はまったく正しいのですが、そのすったもんだの最中に、MNが弁護士の前で、ホテルの壁を拳固でぶち破り、「あんまりグダグダぬかしてると、次はおまえがこうなるぞ」と啖呵を切った、という話は、当時の彼のイメージにそぐわず、正直ドン引きしました。もちろん人を殴っちゃいけないが、ホテルを壊すなよ。なんだそのバイオレンス。でもこれは伝説ではなく実話だそうで、MDの最新アルバムのライナーノーツに書かれており、「うわあああ!」と思ったものです。怖い。あの人怖い。MNはアイドルの枠にはおさまりきらず、アメリ音楽史で大きな潮流をつくった人でもあります。たとえばリンダ・ロンシュタットに提供した、ディファレント・ドラムは多くの人にカバーされてますし、カントリー・ロックの先駆者としてずいぶん実験的なこともやっている。彼の曲はその意味のわからなさまで含めて今でも好きですが(私の英語力が足りないというだけでなく本当に意味不明な曲がある。タピオカ・ツンドラとか、ちゃんと訳してる人をみたことないよ)、彼の支配的なキャラクターが前面に押し出されてくると、ちょっと拒否反応がでますね。

 

決定的にMNの順位が落ちたのは、Pが死んだ時ですが、そんなわけで、その前から少しずつ落ちかけていたわけです。MDはいろんな仕事をしながら、人とのつながりをとても大事にしていて、本当に半世紀前と同じ高音で歌い、今でも精力的にツアーをやっています。すごすぎる。

 

それにしても。
推しっていう言葉、便利ですよね。
この二文字だけでわかってもらえるってすごい。
ぶっちゃけ「ファンです」っていうのじゃ伝わらない熱量ってありますからね。

 

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