世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

「親の味」裏話

今日はあえてこれをのせておきます。実験。
昨日とおとといのPVが異常にひくくて……、やっぱりはてな、なんらかワードで制限かけてるんじゃないかと思って。
 
 
「親の味」裏話
 
これはオカワダアキナさんのアンソロジー「BALM」に寄せた最初の掌編です。

オカワダさんが拙作『たまに料理しようと思ったらこれだよ』に感想を寄せてくださった時に、母親との相克を書き落としているなあと改めて思って、番外編的に書いてみたものです。まあねえ、納谷さんは『オレンジだけが果物じゃない』の結末に絶望した、ってはっきり書いてるわけで、あれを読んで「この人は母親と仲がいい」と思う人はいないでしょうが、料理小説にあまりしつこく書くのも、と思ってぼかした的な部分も確かにあるので。

で、今回の掌編。

知人に読んでもらった時、「どうしてお父さんについて一言も書かれていないの? 普通、食事は夫の好みに寄せるものじゃないの? イトコたちの家は叔父さんについて触れているのに」と言われました。

あっはっは!

いや、こちらはもちろん、わざと書かなかったんですけどね。
(主人公のきょうだいについても、本編に出てこないので書いていません。父親もですが)

そもそも、リアル我が家が、夫の好みに寄せてなかったと思われます。好物を買ってくるぐらいはしてたかもしれないけども。

私の男親は紡績工場主の息子で、実家はお金持ちだったそうです。子どもの頃、伯父の家の敷地に残る廃工場を、この目で見ました。非常にさかんにやっていて、親の実家すら分家だったのに、ずいぶん儲かっていたそうです(時代もあるでしょうが)。こんがらがった毛糸をほどいてまとめ直す手際が鮮やかで、母親が「へんなことが得意ね」と感心したら、「俺はいとやの息子だよ」と笑ったといいます。関係あるんですかね?
そんなわけで彼は、小中学校は有名私立に通っていたわけですが、親の死とともに家は没落。退学はせずにすんだものの、学校で働きながら中学を卒業したとか。その後も工場などで働きながら学校に通い、だいぶ苦労しているはずなのですが、末っ子で甘やかされてきたせいか、ボンボン育ちが抜けず、金銭感覚その他、もろもろひどかった。大学は一応慶応に行ったのですが、妻の父親にレポートを書かせて、自分はスキーに行ったりする人ですからね。苦学した人として尊敬しづらいというか。退職金もぜんぶスッて、妻にたかろうとして完全拒否された(拒否してくれたおかげで残りの家族は今でも自宅で暮らせているわけです、ありがたいことに)。いろんな道楽に手を出すものの、あきっぽくて続かない。ゴルフの会員権についてはつい最近まですったもんだしてました(時代がわかりますね!)。つきあわされるこっちの身にもなってくれって感じで。
とはいえ自分の好きな物を家族に強要することはなく、食べたいものがあったら、勝手に買ってきたり、自分でつくって食べていました。食事については強いこだわりがなかったのかもしれません。
「なりはらさんの家は特殊だよ、あまり普通と思わない方がいい」と同じ知人に言われたのですが、うん、まあ、そうだよな。

バラエティーのみならず、料理マンガもずいぶん流行っていて、私もいろいろ読んでみるのですが、たまに「これつくってみよう」と思って、我が家の定番になるものもあります。ネットで面白そうと思ったものを試してみて、「おいしかったよ」と職場で伝授したりも。ただ、私自身が(作中の納谷さんと同じく)あまり料理をする人と思われておらず、家に招いた大学の先輩に「なりはらさんに料理を教わる日が来るなんて」と言われたり、イトコに「あきらちゃんがご飯つくってるの?」と驚かれたり(ほぼ毎日つくってますよ)で、そういうスタンスの料理小説を書いてみてもいいんじゃないのかなという気持ちで書きました。
本編の方は、私の中の「満潮音さん(私のBL小説のトリックスターでめちゃくちゃ怖い人)み」がちょっと出てしまっているので、「親の味」は、さっぱりめに書いたつもりです。
今までいただいた感想は、だいたい好感触で、皆さん、家庭料理にはいろいろな思い出をおもちなんだなと思いました。「私は、おふくろの味という概念を疑っている」というところが一番ヒットしたっぽい。このタイトルが「母の味」でなく「親の味」であるところを記憶にとめておいていただけたらな、と思っています。