世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

病院に行くだけで疲れてしまう

病院に行く中、朝だと遠くに見える山腹に緑色のキラキラしたものが見えるのです。

あれはなんだろう、とずっと思っていた。

写真に撮ってみてもわからない。病院の帰りにはもうキラキラしてない。

建物っぽく見えるけどあそこらへんになんかあったっけ?

で、グーグルマップの航空写真で探してみた。

「ゴルフの打ちっぱなし……?」

ボールが飛んでいかないよう、ネットが貼ってあるのがそれっぽい。

最近グーグル先生も嘘を教えてくるので不安ですがマップはあってるだろうと思われるので、謎はいちおう解けたのですがあってるかどうかはわからない。あんな山の途中にある打ちっぱなしに自分が行くわけもないので。

とにかく病院に行って帰ってくるだけで疲れ果てていて今日はなにもしてません。

明日からまたがんばらねば。

 

今日のメモ

 

KFC 23日から福袋予約できるみたいですね。買ってみるか。覚えてたら。

 

HAPPY CAPS PROJECT(ハッピーキャップスプロジェクト)│フェリシモ

gazaの子どもたちへの支援もあるみたいなので申し込みたいのですがフェリシモのID忘れてるから思い出してから……(新規登録しようとしたらリジェクトされた……)

 

どこでも発車メロディー

これすごいですね……自分の最寄り駅の発車ベルが何通りもあることを思い出しました。ホームで違うところはそれぞれ再現してるみたいです。すごい。

 

秀吉の軍師 竹中半兵衛の“御殿跡”か 山の上に建物の遺構|NHK 岐阜県のニュース

秀吉の軍師 竹中半兵衛の“御殿跡”か 山の上に建物の遺構

秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛が暮らしていたとみられる建物の遺構が、垂井町の山城跡で見つかりました。
町の教育委員会では「日常生活も山の上でおくっていたとみられることが分かった」としています。

垂井町にある菩提山には黒田官兵衛とともに秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛が居城としていた山城の遺構があり、町の教育委員会では9月から発掘調査を進めています。
その結果、山頂付近で建物の柱を支える「礎石」が10基見つかりました。
教育委員会によりますと柱の間隔や規模から半兵衛が暮らしたとみられる「御殿」の可能性が高いということです。
また、周辺からは陶磁器など約250点の遺物も見つかり、中国の明の時代に作られた茶器もあることから山の上で茶会が催されていたとみられるということです教育委員会によりますとこれまで半兵衛は山のふもとで暮らし、敵が攻めてきたときに山頂付近の「とりで」に移っていたと考えられてきました。
今回の調査結果について教育委員会の亀田剛広学芸員は「半兵衛が山の上で日常生活をおくっていたみられることが分かりました。遺構も良好な状態で確認できたことに驚いています」と話しています。

まあもともと山の上にいたよね。

 

 

拍手ありがとうございます。イライラしても仕方がないので、休み休みやります……!