世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

首が回らなくなってしまいました。


さすがに明日は、仕事前に整体いかなきゃな……しかし、ここんところの熱っぽかったりとか、肌荒れがひどいのはいったい何が原因なんだろう。


それでもやっと本など読む余裕がでてきて、菊池寛の伝記のようなもの*1を手にとったりしていますが、年表にはっきりと“とくに『男色大鑑』を好んだ”なんて書かれていたり、“当時の寛の生活は、午前中に自宅で執筆をし、夕方、出社。そして、「もう八時だよ、僕は帰るよ」と行って、決まって帰っていった。それ以後のことは誰も知らなかったというから、秘密の趣味もあったのかもしれない”とか(奥さんですら知らないことがあったそうですよ、奥さん)……ちょっとニヤニヤしてしまう私。もちろん表向きは、関東大震災の時に、なじみの芸者さんを同居させたりしたという女好きの面が強調されている訳ですが、一高マント事件の頃の菊池寛は、もう二十代だったと思うとねえ。奥さん包子さんの談話も、いかにもそっち系の旦那さんをもった人の物言い*2なのよねえ。
でも一番笑ったのは小田豊二氏が書いている逸話。

菊池寛の家には、置き傘がたくさんあった。来客が突然の雨でも困らないように用意してあったものだが、傘をさすと、傘の裏に「This is not yours」と大きく書かれていた。

いや、なんか、書きそうだなあと思って。
金持ちのくせに、とかいっちゃあかんのですよ、そこで。それは性格だから。
というか、私もちょっとまねしたいと思ったのです。ユーモアがあっていいじゃない?
というか今日、傘、職場に忘れてきちゃったんですが、首が痛くて取りに戻る根性なくて。
笑ってる場合じゃないね。

*1:菊池寛の仕事』井上ひさし文藝春秋

*2:平井隆子しかり、葦原邦子しかり。ちなみに菊池寛はお金目当てで包子さんと結婚したので、菊池は奥さんの名字です。