世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

それは感謝すべきことであり。


私も素直な現代っ子ですから、相手の要求するものがわかっていれば、素直に応じます。
ただ、「相手の要求基準が高すぎる」「自分に相手を受け入れる器がない」とわかった場合、心の中でバッサリ切ります。
訪ねてきた患者が専門外だと判明したとたん、熱意を失う医者よりも、はるかにあっさりと。


ただ、このやり方を、いつどこで学んだんだろう、と思ったりする訳です。
昔からこうだったっけ?
「これ以上無茶を言われて、苦しむのはもう沢山!」「この人にそこまでしてつきあう必要はない!」という考え方ができるようになったのって、最初から?


誰が教えてくれたんだっけ?