世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

かしずかれる快感ってこと?


考えれば考えるほど、わからないんですが。
ええ、こないだ某番組にゲストでよばれて、タカチャと「いつもうちの三浦がお世話になってます」って言いあい合戦をした*1という、例の人のことなんですけどね。


六つ年下の相方が、自分のためにドアを開けてくれています。
あなただったら、彼になんて声をかけますか?
「そんな気ぃつかわんでええよ」
じゃないのか、普通。
それが毎回毎回だったら、何も言わなくなるかもしれないけどさ。
じゃなければ「だから気ぃ使うな、言うとるやろ!」と怒るか。


この相方に、常軌を逸した「やりすぎ」感があるのは事実です。
バンド仲間とスタジオ借りて練習してる時に、バイト先の後輩としていきなり乱入してきたりします。
「尊敬してます、一緒に練習さしてください」って。


でも、どっちもどっちなんだよ。
そういう時、「悪いけど、今日は帰ってな」って答えるよな、普通。
「まあええよ」って最初から中へは入れないよね。
で、あげくの果てに、二人だけでデビューしちゃったりとかしてさ。
なんだそりゃ。


だから、「コイツしつこいわ、うっとおしい」とか「コイツあちこちで愛想ふりまいて俺より注目されとる、腹たつわ!」という気持ちなら分からないでもないんですよ。それでちょっとぐらい意地悪しちゃうのもね(やり方が多少アレではありますが)。


だけどね、全国ネットのラジオで「僕が進むドアは開けてくれる」って、わざわざ宣言したりする。
それがわからない。
とても恥ずかしいことなのに。
しかも、恥ずかしいことだって自覚もあるんだよ?(「普通そんな先輩後輩ない」って言ってるんだから)
それはつまり「どうだ、自分はこんなに相方に愛されてるんだぞ!」って自慢ですか?
アラレもない。


二十八歳の男心、理解不可能です。
私には永遠にとけない謎のような気がしてます。


というか、わかりたくない……。

*1:それは理解できなくもない焼き餅ですけどね。「なんで三浦だけレギュラーのトーク番組もってるんだ」「なぜDEPAPEPEとして出してくれない」「いくら同じ事務所でも、俺と引き離してタカチャと組ませることないだろ」「“うちの三浦”って三浦は俺のだ、俺が育ててきたんだ」と思うのは当然だよな。