世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

1950年代のアメリカで赤狩りというのがありました


赤狩りというのは、ものすごく簡単にいうと、第二次世界大戦後の、共産主義者撲滅行動なのですが。
なにが理解できないって、「なんでアメリカは戦争に勝ったのに、そんなにやっきになって撲滅しようとしたの?」ということで。「いや、そういうアメリカ人は、撲滅したら世界が平和になると思ってるんだよ」というのが、答えなのでしょうが。「リベラル派やらよそものは、冤罪で死刑!」な過激な流れのある国ですから、わからないではない。
ですが、その頃「富裕層の子弟でリベラルな連中はホモで共産主義」といって逮捕するということもありまして。なんでそこでゲイ差別がでてくるんだ? 意味がわからんよ、とずっと思っていたわけなのです。


が。


さっき、1920年代(こちらは第一次世界大戦後の戦後です)の資料を読んでいたら。
息苦しいインフレ時代、イタリア系の移民の人が冤罪で死刑になった事件で、その弁護をしようとした知識人や、「もうこんな国にいられるか」とヨーロッパに逃げ出していった著名な文人のリストがありまして。


これ、ほとんど、同性愛で有名な人ばっかりじゃん……。


マイノリティだから、理不尽な差別や弾圧に反応して戦ってしまうのでしょうか。
そうすると、赤狩りの人たちのスパイ活動って、なんらかの根拠があったのかもと。


ただ、これはほんとに、知識人・富裕層の話であって。
劣悪な環境にいる人たち、経済的に最底辺層の人たちは、たぶん、同性愛であってもリベラル派じゃないのだろうな、むしろバリバリの保守派であろうな、と思うのです。
英語では、そういう最底辺層の保守派を「redneck(肉体労働で首が赤く日焼けしてしまっている)」というのだそうですが、洋の東西をとわず、「自分よりもっと下の存在がいる、連中を攻撃しなきゃやってられない」という人たちは、保守派のようです。政治が自分たちの生活を守ってくれてないのに、それよりもプライドをとる。
だとすると、ネットで極端な言説を繰り返してる人の行動やらも、「あ、別にそんなに不思議じゃないんだな」と思えてきたりもします。
理由は、おわかりですよね……。