世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

今日のメモ

https://gigazine.net/news/20180405-e-residency/
2018年04月05日 07時00分00秒


誰でもデジタル世界でエストニア市民になれる「e-residency」に登録して感じることとは?

なってどうすんの、って思うかもしれませんが、仕事で使うならアリなんじゃないでしょうか。
トラブルはあるようですが、フォローもちゃんとしてるようですし。
ちなみに某首相も市民らしいのですけど、海外でなにかしてないですよね、この人……。

http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/53174739.html


あげくは今後、書いたものは発表前にすべて検閲、誰といつどこで会ったか、どんな話をしたのか、どんな応答をしたのか、6項目に分けて書き出し、報告せよと「命令」する始末。まるで、犯罪者扱いである。

 察するに、僕が30年以上研究対象にして来た明治維新史上の人物たちが、よろしくないらしい。これらの人物は、なぜか、ここ数年政治の場で「イメージキャラクター」のように利用されることが多い(これも僕は一切関係していません)。誰かが勝手に都合よく創ったイメージに傷がつきそうな史料や評価は、徹底して抹殺しておくという「忖度」であろう。


 以前、徳富蘇峰や末松謙澄の明治維新研究の成果に、政治が介入したという理不尽な話を書いた。それを僕は過去の「歴史」だと思っていた。しかし「明治維新150年」というお祭り騒ぎの中で(市民レベルでは、あまり盛り上がっているようには見えませんな)、自分もまた否応無しに、これらの「歴史」の延長線上に立たされていると、それこそ「自覚」させられた。自分の経験が「史料」になるのだ。そういう意味では「明治維新150年」、実に考えさせられることが多い。

うっひゃーとしか言いようがないですね……単に歴史の研究してるだけの人に、こんな圧力をかけるとは……これじゃ某先生が「おれは御用学者じゃねえ」って暴れるわけだわ……実際に「そう」されてるんじゃね……。