世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

『日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す―』金谷武洋(講談社)


9日に通訳をやってらした金谷さんの本を読んでみたんですが。
読みながら思わず「あ」と声をあげてしまった。


「今日はいい天気です。あなた(たち)はどうして来なかったんですか」


大学二年の頃、空いている教室に入った時、黒板にこの二つの文章が、英語で書かれていました。
確かに晴れた日だったので、前のクラスの人は、外で授業したのかな、と想像した訳です。外へ出て見たものを観察し描写するという英作文の授業もありましたから。


だけど、なにかずっとひっかかっていた。なんだったんだろう、あれはと。


そうしたらこの本の、「主語の構文的証拠がない日本語」という項目で。

「どうして来なかったんですか」という文でも、主語と見られる「あなたが」をつけると「他の人が来た」という意味が加わってしまう。意味が変わるとしたら、もはやこれらは「省略」でないことは明らかだ。その他、よく引用される三上章の文だが「黒板に『明日は休み』と書いてあった」や「いい陽気になりましたね」などにも「主語」はない。

これだ!
英語と日本語の差異(日本語は主語のない文章がなりたつ、無理に主語を入れたら文章が別の意味になるケースもある)を、誰かがあの二つの文で教えたんですね。


文法の本を読むと、「これって英語を教える・勉強する時に役にたつかな?」なんて貧乏性な回路が働いてしまうんですよ。でもこの本では、「そうか、ThouってTuと同じ派生か、じゃニュアンス違うじゃないか!」と、そんな情報ひとつにも目が開かれる思いでした(第二外国語スペイン語、ほとんどおぼえていなくても、二人称が二種類あったことは覚えてますから。「君、おまえ」と「あなた」は違う言葉なんですよ)。日本語の母音が最初は四つだった、という説は学校で習っていたので知ってましたが。


という訳で十数年来の謎がとけちゃったんですが、謎は謎のままにして、あらためて別の想像をめぐらせて小説にしたら楽しいかな、と思う私は言語学者じゃなくて小説書きなんだと思います。ってホントによく覚えてたよね……。