世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

全部スポ根なのが、いやなのだと思う。


その昔、槇村さとるがあんまり好きじゃない時期がありました。
「つまらない」んじゃなくて、続けて読むと「飽きた」。
理由は簡単で、ぜんぶ「スポ根」漫画に見えてしまったからです。
彼女の漫画はスポーツを扱うものが多くて、スポ根にはちがいなかった訳です。コーチが選手に「オレについてこい!」でそれが恋愛に発展して、という要素があったって、やっぱりスポ根だよね。
だけど、スポーツじゃない漫画でも、たとえば親子関係でも、師匠と弟子関係でも、全部スポ根な関係なんだよ。「オレ(ワタシ)はエライ・凄いんだ。だから特訓(謎かけ)についてこい、これなきゃ関係を切る!」→「そんなの嫌です(辛い思いをしてのりきる)」→「よくやった。次へ行くぞ!」をエンドレスでやられちゃう。
そりゃ飽きるよ。
主人公は多少は成長する訳ですが、それはあくまでコーチの指導によるものであってさ。主人公の内面が花開くことより、コーチのしごきに力点がおかれてたら、よく言えばそれは「啓蒙」かもしれんが、そんな悪しき体育会系でぜんぶ押し通されたらさあ、みたいな気持ちになるよ。人間関係っていろんなバリエーションがあるから楽しいんじゃん、全部が全部、教える者と教えられる者の一方的な関係じゃないよ、と。


いや、ワンパターンの力関係しか描けないことは、特に問題じゃない気がします。
たとえばおさななじみと結婚した漫画家が、おさななじみ物しか描けなくて、それ以外の漫画がつまらなくても、それはそれだと思う。
じゃあ、自分はなにが嫌なのか?
「オレについてこい」が嫌なのか?
ジジイ趣味の私の心境に、なにか変化がおきているのか?


いや、最近ずっとそんなことを考えていたので……なんとなくね……。