世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

なんで楽しいと思ってやることなのに、苦しいのかというと。


単純に物理的な問題、時間的なもので、ちゃんとした文章が数日書けないでいると、とたんに苦しくなってきます。他にどんな楽しいことしても駄目。
この症状はとりあえず、書けばちょっとまぎれるものなので、とりあえず何でも書けばよろしい。


しかし、気まぎらしの文章ばかり書いていると、自分が本当に書きたくて出すものの輪郭がぼやけてきます。書けると思って書いてみると「あ、あれ、鈍ってる?」と慌てるはめに。
こっちの「書けない」方が、深刻です。


「アイツはもう終わったな」と笑われることには、さしたる痛痒を感じません。批評ならば、もらえるだけありがたい訳で。
だけど、「自分は終わってないか?」と心の内側から聞こえてくる声は、恐ろしい。
「別に終わっててもいいんじゃん?」と思う日もなくはないのですが、「おまえそんなこと思ってないじゃん。じゃあ机の上につんであるファイルと資料とスケジュール表は、なんのために苦労してこさえたの?」と苦笑することになります。


自分が呼吸、するためなんだよね。