世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

日本語まちがってんだよ。だから通じないんだよ。


先日新聞を読んでいたら、本来的な意味で使われていない日本語の例として、

・「姑息」(○:いっときの間にあわせ ×:卑怯)
・「憮然として」(○:がっかりして ×:むっとして)

などという言葉があがっていました。
私も間違って使っている7割組の方です。
でも7割も間違ったということは、正しく使っても、3割以下の人にしか通じないということですよね?
その時点で言葉の意味、昔と変わったんだとはいわないのだろうか。
というか「憮然として」には「思いどおりにならなくて不満なさま」って意味はあるよね?


しゃべっている時、我が意が通じなくてイライラすることはあまりありません。
口語コミュニケーション能力が低いという自覚が充分にあるので、多少は耐えられるのです。
書き言葉の方がイラつきますね。一応文章かきのつもりだからですね。本人、間違って使ってると思ってないからね(あえて間違う時もあるがな)。


うーむ、小泉節子*1の日本語は、含蓄があって美しいなあ……。

*1:ラフカディオ・ハーン小泉八雲の妻。有名な『怪談』の中味を採集してきたのも、題材を組み立て直して日本語の小説として体裁をととのえたも彼女。夫婦の共同作業というよりも、節子の作品といっても過言でないという説もあり。