世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

むしろ丸裸だってば。


「ネット上では、子どもでもチヤホヤされる」「ネットは匿名性が高いから、簡単に相手を切ることができる」「メールだけの関係は希薄なもの、本当の友達づきあいじゃない」


ホント?
ホントにホント?
いつも不思議に思うんですが、こういう文章平気で書く人、ネット経験ないんじゃないの?


子どもだってこと、ネットにいたって、言葉の端々からバレますよね。チヤホヤなんかされない。むしろ子どもだってことを言い訳にしたら、それこそ徹底的に叩かれますよね?
そりゃ、匿名性は高いかもしれないけど、知らない同士ゆえに、大人でも勢いで言いあいしたりするじゃないですか(それこそ現実の子ども社会より、配慮も遠慮もなにもなく)。それって、現実の知人と話してる時より、深く傷ついたりしません? あいつ気に入らないからって簡単に切れる? すぐ忘れられる? ネットストーカーならリアルストーカーより安全、ってすましてられる?
昔はメールがなかったから、子どもは小さな手紙のやりとりをバンバンやってた訳ですが、そういう手紙だけの友達って友達じゃないの? じゃあなにしたら友達? 若ければ若いほど、成長にともなって、つきあう相手はガンガン変わってくもんですよね?


ネットって、基本的に文章だけで勝負する世界です。
だからむしろ、その人の本性がすけてみえちゃうと思うんです。
実力のなさも、品性のなさも、隠せない。


現実の社会だったら、何かで補うことが可能です。
私は、働く社会人としてはほんとうに最低のレベルです。
「常識がない、敬語もまともにしゃべれない、声も悪い、仕事が雑だ、要領悪い、だらしない、配慮がない、気がきかない、慌て者、うっかりもの、怒りっぽい」
悪い形容詞ならいくらでも並べられます。
それでもクビにもならず、何年も働いてます。
つまり、
「だけどまあ、ナリハラさんなりに頑張ってるみたいじゃないか。な、元気出しなよ!」
と、同情してくれる人がいるから。
最低限の協調性&前向きに努力してますってポーズ、人が沢山いる場所では大事なんですよ。
見られてる、そういうところ。意外なほど。


だけど、ネットの上では、「努力してま〜す」と書いたところで、努力のかけらも伝わりません。
コンテンツでしか伝えられない。
輝くのは、心の美しい人、アイデア豊富な面白い人、頭のいい人たちです。
そういう意味では、たまらなくシビア。


で、「現実の」「本当の」って、なんなんでしょうね?
三億円?(笑)