世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

昨夜の夢は一応ストーリーがあったので。


気のおけない人たち(同僚?)と何人かで遊びにいったが、映画館?で座ろうとしたら「そこはこれから撮影する映画で使う場所でして」と言われ、近くに俳優が座ってこちらも映ってしまいかねないことがわかったので、それもうっとおしいね、とみんなでそこを出て、誰だかの家で飲むことに。ふだん飲む場所より近いので、夜が更けるまで油断していたが、「終電は?」といわれ、慌てて帰ることに(いざとなったら歩いて帰れる、などと豪語していたりも)。
家に戻るとすでに翌日になっていて、なぜか家の斜め前の道路を半分埋め尽くすように、最近死んだ親戚(知人)の墓が四つばかりたてられ、ブロック塀で囲まれている。しかも西洋式なひらぺったい板に名前が印刷されていて、その前がコンクリで固められている(一部生がわき)というひどいお墓。これは男親の仕業だなと思って、「これじゃ、車どころか人の出入りも大変じゃない」と抗議すると、「すぐに家ごとずらすからいいんだよ」とのこと。そんなことできる訳が、というと、南側の敷地がぽっかり空いていることを示し、駐車場もそこにつくる予定らしく黄色と黒のだんだらのビニールロープがはってあって札が下がってる。しかし、家自体もあまりよい状態でなく、塀についているポストがむしりとられていて、やはりコンクリの板の上に郵便物が広げて並べられている有様で……。


シリーズもののバリエーションといった感じでした。
家を動かす(建て直すといったノーマルな夢もあるのですが)、また、居場所が定まらなくていつまでもウロウロする(通常はいつまでも目的地につけず、目標が達成できない)、というのは私の夢の定番なのです。特に後者は本当に基本といってよく。分析的にはどうなんですか、こういう夢。


その後、身体を暖めてから寝るために湯舟につかりましたが、身体の奧で「おつかれさま」と小さな声が。この年末年始は長丁場だったので、自分なりに緊張していたらしく。
ゆるんだことがいい方向に行くよう祈りたいと思います。