世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

レポ詳細は後日の【近況】で(毎月更新遅くてすみません)


『ブラバン』、なんとか読み切ってから、ですぺらで行われたライブ、行ってきました。
津原泰水という作家に、あらたに若いファン層ができているのを感じました。
本にちなんだカバー曲あり、馴染みの曲あり、それどころか新曲もとびだして、サービス満点。
ここのところ、刊行ペースも作品も好調で、良かったなあ、と思うことしきり。
ブラバン』は爽やかな青春小説で、津原氏の八十年代がかなりダイレクトに反映されている模様。もちろんリアルとフィクションは分けて考えなければなりませんが、学生時代にきいた話の数々から推し量るに、自叙伝に近いものがあると思われます。特定の作品のせいで偽悪的に思われている作家像を、潔癖でシャイな姿に修正してくれるものではないかと。私にとって作中の時代は中学の頃にあたり、ホルストの流行はもうちょっと後ではなかったか、などと思うところもなきにしもあらずですが、二十五年をさかのぼる力のある小説です。
少女小説時代の読者の方は、この作品は特に嬉しいのではないでしょうか。


私と津原さんの出会った頃については、Narihara Akiraと『水晶の舟』に簡単に記されていますが、その頃の津原さんは私にとっては謎の青年でした。ぱっと見は“ミニチュアの糸井重里(表情を隠すための、薄い色つき丸眼鏡のせい)”、まるで爬虫類のように滑らかな頬をした天才肌で、話す言葉はツハラ語。論理のアクロバットがあまりに鮮やかすぎて、なにか怒っているようなのに、何を叱られているのか全然わからない。実を言うと私は二年ほどさっぱりわかりませんでした(なぜ津原さんは「ホモー!」って叫びながら『草の竪琴』を読むんだろう、とか/笑*1)。むしろ小説の中には本当の津原さんがハッキリ存在していて、たとえばデビュー作の『星からきたボーイフレンド』の中で、地球にやってきた異星人が、あまりの人口の多さにカルチャーショックを受け、途方にくれる。その様子は、古典SFのなぞりではなく、広島から上京してきたばかりの頃の彼の心境そのものと思われ、失礼ながら「こう話してくれればわかりやすいのに」という感想を抱いた……というのも、もう遠い昔のことです。


好きこそ物の哀れなりけり、といいますが、小説も音楽もあきらめずに研鑽を重ねてきた二十余年が結実していると思います>『ブラバン

*1:私は単純なので、嫌なら読まなければいいのに、と思っていた訳です。別に嫌なんじゃなく、放りなげつつもカポーティを熱愛しているという、その距離感がわかるようになるのに数年かかった。そして私は“カポーティなら「The Grass Harp」より「The Headless Hawk」の方が好きです”などとトンチンカンな回答をしていた訳ですね。