世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

オカワダアキナさん『イサド住み』読了(ネタバレします)

オカワダさんの11月の新刊『イサド住み』を読み終えました。
皆さん、ネタバレなしでうまく感想を書いてらっしゃるのですが、まったく自信が無いので普通に感想を書きます。未読の方はご容赦下さい。

通販や試し読みはこちら(アンソロジーと同時に注文される方は別ページがあります)

イサド住み | ザネリ

 

オカワダさんご本人のご申告通り、トランスジェンダー男性の人のボーイズラブです。そういう場面もきっちり書かれてます。
主人公の今くんはFTMで、ムムくんという男性のセフレになり、好きになってしまったのですが、ムムくんには優人さんという本命がいるので全員一方通行片思い状態。ところがそれが最後に……という。オカワダさんが常々書きたいとおっしゃっていた××での場面もあり(最初ぱらっとめくってしまった時に「あっついにくるのか」と気づいて、最後の方はゆっくりめに読んでました←なにがこわかったの?)


オカワダさんの描くキャラクターは、どうしようもないところがあっても「そういうこともあるよね」と思わせる描き方になっていて、共感を呼ぶのですが、今回、ムムくんが最後の方で告白する「やらかし」の話、これが彼のフカシじゃなかったら「アウトーーーー!」で珍しかったです。プライベートでなにやってたって人に迷惑かけないならいいけど、仕事でこれはあかん。たぶんムムくんは会社のちょっと偉い人の身内かなんかで、許されたんじゃないかと思うんですが、うちの職場だったら、これ一発で会社をクビになるよ案件をやらかしていて……ニュースになったら会社の前に街宣カーが来て「牟田を出せー! 責任者を出せー!」って怒鳴ってると思うな、これ。なので私が今くんだったらここでムムくんに冷めちゃうな、告白受け入れないなと思いました(私の感想です)。ただムムくんは今くんとのなれそめの時点で虚偽申告をしている模様なので、嘘かもしれない。嘘であってくれ。そういう会社でそういう基本的な研修やってないの、怖すぎるから。

 

いつもの通りオカワダさんのモノローグは読者をそらしませんが、今回は特に、いま自分に押しつけられようとしているものに対する永遠の疑いがメインに描かれていて、布団をかぶりながら自分の輪郭の不確かさに震えている今くんの場面で「そう、これはのんびりハッピーを楽しむロマンスではなかった」とハッとします。男と男の話でなく、今回はあえて女性としてうまれて男性として生きようとしている今くんと彼を巡る人々の話にしたのは、その疑念や理不尽を描くためなんだよなと。
今くんはボーイッシュな女性として女性と恋愛していた経験もあるのですが、結局ホルモン注射を打って男性の身体に移行しつつある。ただし身長もあまり高くないので、男としてパス(通用する)ことがじゃっかん難しめのよう。お金もかかるのに定職につくのが難しいことに不満もある。社会に対して普通に男性として生きていられるFTMへの憧れもある。家族との関係なども微妙な感じ(そうでしょうね)。カムアウトしなくても「あれっ」ってなっちゃうもんね……。

 

だいぶ前の話なんですが、私、某勉強会でトランスジェンダーの論文の翻訳に携わりまして、その本はもう絶版になっちゃってはいるんですが、訳すために勉強したわけです。だけどね、自分の身体に対する違和感って、当事者じゃない人間に「わかる!」って言えるもんじゃないな、というのがわかっただけでした。私が女性としての条件であるパーツを失ったとしても、だからって自分のことを男だとは思わないもんよ。私自身は身長もやや高いのでむしろ女性としてパスしない時もあるわけですが、それでも男になりたいわけでもないし、男じゃないもんよ。
なので、オカワダさんがものすごく勉強されて、試行錯誤して、今くんのモノローグをつくりあげた、その苦労はほんのりとわかる気がします。ずっと前から書かれていて、書き上がったものも半分以上削ったそうですが(ゴルフの場面なんてなかったよな)、こういう形で着地してくれて、今くんに共感をもてるように描いてくれて、本当によかったと思います。オカワダさんご本人の迷い、そして今くんの試行錯誤が私に教えてくれるのは「問い続けること(そしてその難しさと面倒くささ)」です。生きるってしんどいけど、悪いことばかりじゃないし、みんなはあきれるかもしれないけど、自分は自分でいいのだ、ということです。

 

そもそも自分の人生に責任とってくれる人はいないわけで、確かにそれでいいのです。

 

 

○追記:なんで今回、ムムくんのやらかしにひっかかったのか、改めて考えてみたのですが、原因は2つあると思います。

その1。作中では事件にならなかったけれど、もしなんらかの形でムムくんの持ち出した物が流出したら大事件なんですよ。それを防ぐための研修が行われるレベルの事件なんですよ。ただ、それがいつものモノローグで地の文で描かれていて、どうしようもなくそうなった、と描かれていたら、「なるほどね」と読めたかもしれない。でも会話だけで彼の背景もよくわからないので、ムムくんに共感しづらかった。

その2。ムムくんはよりによって、告白するときにこの「やらかし」を語るんですよ。今くんはムムくんのだめさをわかっているので、それを受け入れるし、ムムくんはもともとだめな人なのでやらかしててもいいのですが、つまり今くんを試してるんじゃん。俺はこういう人間だけどつきあう? いいよね?みたいな。よりによってそこでいうのか。好感度下がるーーーーってなっちゃったんだと思います。そもそも私はパワハラ的な関係がだめで(だから年下攻書いちゃうことが多い)、自分が優位である、力があるからと関係を迫ってくるのが大嫌いなんですよね。今くんはあらゆる意味で立場が弱いわけで、ノーをいわない相手にこの口説き方よくないだろ、そもそもこんなに自分のことで悩んでる今くんの相手としてふさわしくないだろっていう。

 

例えばね、『蝸牛関係』のバリバリ浮気してる若パパの人には、私はあんまり嫌悪感がないんですよ。もちろんやってることは悪いよ。だけど、マッチングしてみたら職場の後輩だった、ラッキー、みたいな感じで関係が始まってるので、まあそういうこともあるかなって。そして雄大くんはがんばれば拒否できた?はずだけど、流れ上や立場上、拒否できなかった。先輩はタイプではあるけど、ずっと「これよくない関係だからいずれやめたい」と思っている。そしてみいちゃんへ心が動いていく。

これだったらすんなり読めるわけですよ。どちらの心理もわかりやすく描かれてるから。だからまあ先輩は悪いけど悪役みたいなもんだからね、と思うし。若くてパパなんだからそりゃかっこいいんだろうし、モテるだろうし、今までも遊んでたんでしょうし、みたいな腑に落ちるところがあるわけです。