世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

整体には行けたんですが

帰ってきてから物干し竿の修理したりしたので、やっぱりまだ腰が痛いです……寒風にさらされながらやる仕事ではなかった……でもいいかげん修理しないとシーツとかまとめて干せないので……でもまだ半分ぐらいしか終わってない……次に補修テープを手に入れたらまた続きをやらないと……もしすこし余ったら別の物干しも修理したいし……もう、竹の物干し竿のいい奴なんて、ほぼほぼ手に入らないですからね……親がどんな思いでしょっちゅう補修してたか、今になってわかるわ……

布団の打ち直しとか、お米屋さんにお正月用ののし餅の配送を頼むとか、そういうのも、もしかしたら、今は丁寧な暮らしの部類に入るのかもしれないよな、贅沢だよなって思うようになってきてます。すごい貧乏人だよ、ホントに。

 

☆メモ

 

修善寺から見た北条政子|【公式】修善寺温泉観光情報(伊豆市)|note

あの時代に高年齢出産で四人うんで、夫亡き後も苦労して育てたのに全員に先に死なれたお母さんの身にもなってくれって思うんですけど、そりゃ菩提ぐらい弔うよな……。

 

【鎌倉殿の13人】ついに完結。“最恐フィクサー”で話題の栗原英雄が語る、大江殿「開眼」の舞台裏 - All About NEWS

一方では、政子に“重すぎます”と拒絶されながらも思いを寄せ続けるという、ロマンチックな一面も持つ広元。終盤は目を患い、手を引かれる描写もあったものの、大詰めの第47回では政子に演説の原稿執筆を頼まれ、渾身の力で筆を握る姿に“政子のために見えるようになった!?”と注目が集まりました。 

「映像には映っていなかったと思いますが、広元はこれくらい(3センチくらいまで)紙に顔を近づけて書いています。うっすら見えるんですね。史実では、広元の目の病気は少しずつ治っていったそうなのですが、どのタイミングで平癒したとするのか。 

ネットが沸いた、大江殿「開眼」の舞台裏

彼が一番目を開ける状況はどこだろうと考えたときに、やはり政子が自分の言葉で語りだした瞬間だと思いました。動揺する御家人たちをまとめるために、政子は広元が書いた原稿で演説をしますが、途中で止まる。何が起きたんだろうと思うと、政子は自分の意志で語りだすんです。それは広元にとって全然嫌なことではなく、むしろ彼女が覚醒したことが嬉しい。どうしてもその姿を見たいという力が働く……それが、あの姿になっていきます」
 ここで開眼したかったのには、もう一つ理由がある、と栗原さん。最終回での“老い”の表現に、眼力が欲しかったのだそう。

「(義時の息子の)泰時が自立していくじゃないですか。(ライバルたちを軒並み“排除”するのではない)新しい形でやっていこうとする彼を尻目に、広元はまだ義時に強硬論を主張するんです。ここでは老いた人間の寂しさというか、わかってはいても変われない頑固さを出すとなったときに、目をつぶったままでは表現がしづらいなと思いました。台本には書いてなかったですが、一人で歩けるくらいに治っておこうと思いました。
 そんな広元も、義時が亡くなったときに、自分の時代は終わったと思うんです。それで義時の一年後に彼は亡くなり、その一カ月後には政子も亡くなっています。死因は大腸がんだと言われていますが、あの最終回を観た後では、ちょっと想像力が働きますよね。(頼家の死に)広元も一枚かんでいたとわかったら、政子は……。そして彼女は自分でケリをつけたのかもしれないし……と、いろいろな想像ができますね」
最終回を迎えた今、『鎌倉殿の13人』というドラマを、栗原さんは“必死に生きる人々のドラマ”と振り返ります。
 「北条家を中心とした群像劇ですが、“誰も悪くなくて、誰もが悪い”。必死に生きる中で、その手段を選ばなければいけなかった人たちのドラマで、現代に通じるものがありますね。人間はいつの時代も、愚かなことを続けているのだと感じます。

あのラストについても……政子としては、弟を解放してあげたいという思いの一方で、頼家を殺されて思うところがあるだろうし、人の心って一色ではないですよね。憎しみだけでなく、悲しみも怒りもあるでしょう。そういうものを描くのが、僕らの仕事なんですよね」

 

やっぱりあれ開眼しちゃったんだ……おそるべし政子パワー……見えるようにしてしまうとは……