世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

朝日新聞「人生の贈りもの」竹宮恵子編。


朝日新聞の夕刊に、連続インタビュー欄がありまして、時々読んでるのですが、14日の夕刊が「漫画家 竹宮恵子」6回目で。
当時の貴重な話が読めて面白いのですが(今回は女性版「トキワ荘」の発端など)、最後は、代表作『風と木の詩』に触れて、こういう風に結ばれています。

 ――1976年、ついに「風木」の連載が始まります。少年たちの同性愛の物語でした。


 描き手としては、同性愛に興味があったわけじゃないんです。精神的にも肉体的にも「何もまとわない」ことに価値を感じていて、それを表現できる形を考えたら、ジルベールという少年になったんです。


 ――ジルベールの複雑なキャラクターや心理描写をどうやって構築したのですか?


 ジルベールは理解しにくい人物像ですが、内面的に女性的なものを代表する存在として描き、セルジュはいかにも鈍感な男性を代表する存在として描きました。男女を2人の少年に抽象化して投影し、俗にいう男女の間に横たわる「深い川」とはいったい何だろうと描き進めていったわけです。
(聞き手・浜田奈美)


この最後のところを読んで、ものすごく腑に落ちたのです。
正直、ジルベールは、そんなに理解しにくいキャラクターではないと思うのです。
竹宮さんのいうとおり、何からも自由である子です。
昔はそれを「不良」と呼んだんでしょうが、そういう子は、いつの時代もどこの国にもいるでしょう。しかも、男の子であるならば。


むしろ、十代の私は、セルジュがよく理解できなかった。
つまり、どうしてジルベールの相手がこの子なんだろうか、というところで。


なるほど。
これは、男女の深い川だったのか。


だとしたら、よく、わかります。


そして、少年・青年同士の愛を描く人たちが、このパターンを踏襲していったわけも、なんとなくわかります(あんまり愉快じゃないけども)。


いや、実際の同性愛でも、「深い川」は横たわってると思うんですけど。


セルジュの鈍感さが男性性の象徴なんだとしたら、そりゃ深いわ。
あの結末も、いたしかたない。


深いな……。


さすがに私の年齢では萩尾望都とか竹宮恵子の代表作はリアルタイムでなく、後で全集的にまとめられたものしか読んでいないんですが、十代後半じゃ、たぶんそこまでわからなかった。
そこまで絶望してなかったんで。


名作は作者がきちんと構築した上でうまれるもの、ということを再認識した日でした。



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