世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

オカワダアキナ様から『たまに料理~』の感想をいただきました。

読書日記:『たまに料理しようと思ったらこれだよ』 - 日々の記録

週末バタバタしていて、オカワダさんの呟きをチェックできてなかったんですが、18日に拙作の感想をいただいておりました。

……感激しました……落ち込んでいたからなおさら、優しいお言葉が染みました……。

 

作者本人はあんまり考えてなかったんですが、普段、だいぶ力んで書いてるところを、体力と時間がなくてバッサリ書いてしまったので、それが面白みになっていたなら本当にありがたいことです。

なにしろ、オカワダさんの普段の作品のレベルはこれですからね。

小説日記:『ソルロンタン』 - 日々の記録

この人に「好きです」って言われたら、ありがたいって拝むしかないわ……。

ルシア・ベルリンには到底なれませんけど(『ガラスの靴が欲しいわけじゃない』ぐらいで勘弁して下さい)、これからもボチボチなにか書いてもいいかなという気持ちになれました。

ありがとうございました。

 

拍手もありがとうございます。

 

 

読書日記:『たまに料理しようと思ったらこれだよ』

6/18『たまに料理しようと思ったらこれだよ』鳴原あきら

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主人公の納谷みらいさんはぜったいめちゃめちゃもてるタイプだ…。と思っていたら、期待通りに歳下の子に好かれるエピソードがあって、「だよね〜!」となった。本人はあんまりそういうつもりはなさそうだけど、かといって、みらいさんはとぼけているわけでもかまととぶっているわけでもなく、いわゆる朴念仁ボケみたいなんでもなく…なんていったらいいのかな、そういうのっぺりした属性やキャラクターの話ではなく、もっと立体的に、納谷みらいさんはかなり変な人なわけです。

料理エッセイを依頼してきた編集部に、いきなりおにぎりとサラダとサンドイッチを持って突撃する。その場で食べさせオファーの意図を問いただす。「普通に美味しい」って失礼じゃないですか?と。おおまじめに突っかかっていくようすが可笑しい。いやこのシーンはコミカルなやりとりで、こういう人がいそうとは思わないんだけど、主張のズレがなんとも面白い。彼女の言ってることは至極まっとうですが、それをなぜいきなり、なぜその方法で、なぜその剣幕でやらかすのか? 常識も分別も社交性もありそうな大人が「え?この人ちょっと(かなり)変?」というのは、なんとも面白いし愛おしい。
フィクションにおいて、いかにも変わり者ですなんてキャラクターには鼻白んでしまうことも多いんですが、みらいさんは絶妙だなあと思います。きまじめさと厄介さが裏表で、彼女が変な人であるのと良識人であるのとは同じ理由によるものでしょう。それは作中のどの発言でわかるというのでもなく、ぜんぶの行、ぜんぶの文章で、読者は理解する。
いやもちろん、ここのこれがこれを象徴している、これを端的に表している、そういうものを探すことはできそうですが、本作はそんなせせこましい小説ではないなあと感嘆しました。まあ自戒ですけども、なかなかいい書き出しになったなとか、さりげなく主人公の決意がわかるシーンになったなとかほくそえむことは、まあまああるわけです。けれども本作を読んでいると、そういう自分のあれこれはなんと幼くみみちいのだろうとちょっと恥ずかしくなります。
なんというか、すごく余裕のある小説だなあと思うのです。ぜったいこれを書いてやる書いて殴ってやるみたいな切迫感や下心がなくて、あくまでみらいさんはあったこと感じたことを気負わず、てらわず、語っていく。

いや「気負いなく」が格好いいのは誰しもわかってて、もうほとんど無意識のうちに「あんまり必死でない人物」を書こうとします。なんていうの、テスト前にぜんぜん勉強してないよ〜って言うみたいな…伝わるかな…自然体をやりたくて自然体の人物を書く。たとえば(特定の何かの悪口を言っているわけではなくこれもまあ自戒です、自戒その2)「家から近いという理由で志望した学校に通い、ふとしたきっかけで知り合った人がいて、一緒にいるのが当たり前になって、いつのまにか恋人になって」、みたいな。お前!うそをつけ!ってなるでしょ。
いっぽう納谷みらいさんは必死で生きている。必死に生活し、やらかしたりしくじったりする。文句を言ったり、郵便に小細工をしたり、高校生の恋愛につきあってやったり(呼ばれれば遠路はるばる会いに行ってやる!)、周囲の人に気をつかったり。美しい幼なじみに一世一代の恋をして、なにしろ「父であり母であり神」だという、幼なじみは一度結婚したが、離婚して、みらいは思いをうちあけ、現在はいい関係になり…。
必死の人生が、自然体の文章でえがかれる。いろいろあった大人のひとがいろいろあったとラフに語る。当たり前に波乱万丈を生きること。
すごい勝手な想像なんですけども、納谷みらいさんの(というか鳴原さんの)「掃除婦のための手引き書」が読んでみたいな…と思いました。

マフィン編の旅行のエピソードも、お弁当編のお泊まりのエピソードも、なんとも滋味深い。
そうして最後、麺についての章。年取った親とのあれこれ…と読んでいると、とても簡単だという麺のレシピがいくつも続いていく。もしかしたら主人公は、親とのあれこれの核心のところを、あんまり語りたくないのかもしれない…。それは仲が悪いということではなく、とはいえあまり簡単な言葉で表すことは難しい、人生の複雑さがにじむように思います。日々の料理についてのおしゃべりの裏側で、語られない屈託を想像する。「親は老いた。私も老いた。」この簡潔な一行にこめられたいろいろは、いろいろとしか言いようがない…。

納谷みらいさんは、料理がとても好きとか、食へのこだわりが人一倍強いとかではなさそう。食べることに特別な幸せや生きがいを見出しているわけでもなさそう。じゃあなんで料理の話を書いているのか、まあ依頼されたから…日々やっていることだから…。そうして、日々やっている(必死の)生活に自分なりの工夫を加え、乗りこなそうというのは、すごく楽しそうだし素敵だなあと思います。これわたしすごいなと思ったところなんですけど、うどんのレシピが語られる流れで「どんぶりを洗うのが少し面倒だが、つけ置きしておけばいい。」とあって、そうなの、生活って面倒なの…とうなずきました。こういういろいろもまた「気負わず、衒わず」でしょう。そうすると、本作は、小説の小説かもとも思います。料理への距離感に、小説とのつきあいかたをみるというか…。

いや〜好きです!読んでいていろいろなところでニコニコしたり、ぶっと吹き出したり、幸福な時間でした。こういう小説が好きです。こういう百合が読みたかったのです。
もう今日の日記は好きですだけでいいんじゃないか…わたしなどが余計なことをくどくど述べてもしょうがないんじゃないか…という気持ちにはなったんですけども、せっかくなので、いろいろ長々しゃべってみました。

ちょっと「続きを読む」に貼っときます。もし記事が消えちゃっても自分のところで読めるように……。