世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

A desire for a perfect life

オカワダアキナさんの新刊『リチとの遭遇』を読みました。


読んでいる間、オカワダさんの過去の作品をいろいろ思い出しました。

「踊る阿呆」「ぎょくおん」「蝸牛関係」「ハッシャバイ」「イサド住み」「~ゴミクズ」……他にもいろいろ。

主人公の直行さんが自分の皮膚感覚を自問自答していく物語だなと思いました。他の五感も出てこないことはないのですが、直行さんはたぶん触感特化型なのでしょう。たとえば牛を間近で見ても、そこに嗅覚の感想が出てこないのが不思議でした(出産してもしていなくても、生き物ってにおいがしますからね)。


今回はオカワダさんの強靱なモノローグがやや弱めですが、考えてみたらこれ、直行さんに限りなく近い視点で彼のことが書かれているのですが、ずっと三人称なんですよね。語り手とすこし距離が置かれているんですね。だけれどもそこに、オカワダさんが好んでいる(?)モチーフが大量に投げ込まれていて、作品自体の強度が保たれています(なので昔の作品から近作までを思い出すのでしょう)。

 

直行さんはソフトSM的なところに着地しかかっていますが、これは性癖というよりもメンタルの問題っぽい。ずいぶんと自己卑下をしていますが、彼は別に仕事ができないわけではない(英語が堪能ではないといいながら、普通に偉い人あての英文メールを書かされているので評価はされているはずです)。うまくできない、を繰り返しますが、別にクビになるような失敗をしたり、誰かを傷つけたりしたわけでもない。閉塞的な田舎の会社で息が詰まる(キャザーの「ポールの場合」のポールのように)のは、直行さんがうまくやれていないからでなくて、むしろそこがあってないだけというか。今時、正社員になるのも大変ですが、なってるからってみんな有能なわけじゃないですよね。


この話で印象に残るのは「ぺちゃんぺちゃん」と「全身タイツ」です。そういうものを好むからといって飛び抜けてヘンタイってことはないモチーフなのですが、直行さんの模索しているのは皮膚感覚なので、押しつぶされる感覚、肌に何かがぴったりくっついている感覚の表現が光っているのだと思います。タイトルになってるリチくん、実は割とひどい人なんだけど、展開が早いので、読者は直行さんと一緒にあっけにとられて、あんまり憎めないのもいいですね。あくまで遭遇なんだよな。

 

読んでいる間ずっと、ジム・モリソンの「Why the desire for death」という詩を思い出していました。
『Wilderness』という詩集に収録されているもので、私も勝手に訳しています。

 

なぜ人は死を求めるか。
汚れのない白い壁か 清潔な壁紙
間違って、ひっかき傷がひとつつく。
もう消せない。
だから、たくさんの線を上からひっぱって、
覆い隠して見えないようにしてしまおう。
だが、最初の傷は残る。
きんいろの血で描かれた、光輝く傷は。
つまりは完全なる生涯への希求。

 

直行さんは限りなく何かに近づこうとしている。何か完全なものに近づこうとしているから、自分をダメだと思ってしまうんだろうなと。
それを皮膚感覚・何かと出会う感覚としてまとめたのがこの作品なんだろうなと思います。

オカワダさんの作品を未読の方は、この本をオカワダアキナ入門編として読んでもいいかもしれません。この本がダメだとたぶん読めないかなと……。

 

タイトルは某映画のもじりで間違いなく、UFOの話やらUFOキャッチャーの話がありますが、もちろんアブダクト物ではありません。