世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

人はどこへゆくのか。


津原泰水『ピカルディの薔薇』の腰帯に、こんな文章があります。

江戸川乱歩中井英夫の直系が紡ぐ、倦怠と残酷の悲喜劇。

これを見てニヤニヤしているのは、私だけでしょうか……?


中井英夫については、たとえば『凶鳥の黒影』に素晴らしいオマージュが収録されていますから、まあよろしいでしょう。
ですが津原さんは、乱歩派じゃなくて、むしろ清張派ですよ?
学生時代もそうだったし、今でもそうだと思われます。
「なんでみんな、清張読まないの?」ってよく怒ってらっしゃいましたよ。江戸川乱歩の稚気より、松本清張のファンタジックさを好まれておったようです。


中井英夫もね、私がサークルの読書会で『とらんぷ譚』を扱おうとした時、「『幻想博物館』なんてタイトル、なめてるよね?」とブツブツ呟いてらっしゃいました。
そう、その時まだ、津原さんは中井を知らなかったのです*1
今や“直系”ですからね。
二十余年前の津原さんが、それを予想しえたでしょうか?


いやいや、人のことは人のこと。
大切なのは自分のことです。
私はこれから、どこへ向かおうとしているのか?
それを改めて問う年にしたいと思います。


●追記:津原ファンの皆様へ



サイトの掲示板の方に、津原さんからこの記事へのコメントをいただきました。
この日記だけのみご覧になってらっしゃる皆様が、私の断定的な記事で誤解なさらぬよう、ご本人の弁をこちらへもコピーしておきます。

 どこに行くのかねえ / 津原泰水

 あけましておめでとう。今年もよろしく。
 ブログ拝読。「乱歩の直系」は、むかし山村正夫先生から「君は乱歩さんの孫弟子にあたるわけだから気をひきしめて」といったお言葉をたまわり、その話を編輯者にしたのが、印象ぶかかったみたいですね。ゆえにnariharaくんも同じ立場という事になる。
 中井氏に関しては僕も神経質になっています。むしろ本多くんとの交流からのイメージでしょう。ただ、のちに年譜を精査していて《とらんぷ譚》の一部を読んでいたことには気づきました。亡父が「太陽」を購読していたの。作者名になんぞ興味はいだきませんでしたが。
 清張派という訳ではないけれど、ずいぶん読んでいましたね。ペシミスティックな抒情性とでもいうのかな、ここしばらくは読んでいないけれど、なにかと影響を自覚させられます。
 なんにせよ、他作家を引き合いに出されるようでは未熟者という事で。 (No.553 - 2007/01/01(Mon) 03:26:22)


 Re: どこに行くのかねえ / 津原泰水

 山村先生の弟子筋がどれも乱歩の孫弟子だったら、それこそ無数なわけですが、若い才能にはじつに寛容な方だったから、我々がそう信じるのは望まれるところでしょう。僕がそう言われたのは少女小説に腐心していた時代で、あれは嬉しかったな。
「津原、また遊びに来い」が、かけていただいた最後の言葉です。僕はきっと山村派なんだよ。
 本多くんは煉瓦亭の若旦那に連れられ、僕の会長時代に飲みにきていたから、nariharaくんも実は接点がある筈。
 あの当時、ミス連の合宿に僕は行ったことがあり、その酒宴の場には、若き飯野文彦、我孫子武丸佐藤哲也の各氏がいたそうです。飯野さんが妙に記憶力のいい人で、「俺は二十歳のあんたを知っている」と云われた。
 典型的な巻き込まれ人生ですが、あれもこれも繋がっていると思うと感慨ぶかいな。僕は騙されるようにして青学推理研に入った人間で、あとで聞いたら誰も居残るとは思っていなかったんだって。 (No.555 - 2007/01/01(Mon) 07:04:46)

*1:まったく知らなかった訳でなく、お父様が購読されていた「太陽」で、『とらんぷ譚』の何編かは読んでいらしたそうです(ご本人談)。