世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

昭和30年代とそれ以降の文体って、やっぱり違うよね?


旧かなが、だいたいに新かなに切り替わったのが、昭和30年ぐらいだと思うのですが。
昭和前半の頃って、市井の人も、文章、うまかったよね?


本多勝一さんが、昔の国語教育も今の教育も同じだ、って唱えてらっしゃるようなんですが、母や叔母の日記や作文を見せてもらう限りでは、「違うだろ、コレは」と思う。
どのお手本を見て書いたの、って思うわけです。
(彼女たちの才能からきてるのでないことは、大人になってから書いた物みればわかる)


私は「生活綴方」の実態を知ってるわけじゃないですし、当時の児童文学者とか綴り方の先生を手ばなしで持ち上げる気はないんですけど、昔の教育は、やっぱり違ってたんだと思いますよ。


だって、大正・昭和初期の文豪って、市井の人の日記を丸パクして、小説にできたりしてたし(けっこうよくある話らしいですよ?)。


いや。


思うところあって、最近、ドイルのホームズの翻訳を読んでるんですけど。
いろんな翻訳を読み比べてみて、優れた翻訳者が訳してるから読みやすいわけじゃないな、っていうのが、実感としてあって。


延原謙訳が、今のところ、一番しっくりきます。
息子さんが改訳して、読みやすくしてるのかもしれないんですけど、昔の小説には昔の文体があうんではないかと。
思うのです。


なんでも新しければいい、わかりやすければいいってものじゃないよっていう。


もちろん、若い人がダメだっていってるわけじゃないですよ。
後生畏るべしっていいますが、若い世代は、昔のものもどんどん吸収して進化していってるんで。
私なんかより、よっぽど優れているわけですよ。


ただ、昔の授業がどんなだったのか、ちょっと、受けてみたかったなあ、と。


そう、思うわけです。