世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その2:文体について

こんばんは。

医者のはしごをして、処方箋薬局で「その症状は全部ストレスでは」といわれてしまった鳴原です。まあ年末いろいろありましたからね……。拍手ありがとうございます。生きてます。

 

今夜は創作についてのメモ、二回目です。

文体のお話。

 

★文体について考えたことがありますか?

 

文体については、ル=グウィンのいい本『文体の舵をとれ』が出てますから、友人と切磋琢磨できる人はあれを読んでやってみるといいと思うのです。
ただ、そもそも、文体ってそんなに重要なのか?って人もいると思うんですよね。

同じ内容の話だったら、ふさわしい文体で書かれている方が絶対面白いです。物語に没入できる文章にした方がいいです。人はその内容によって文体を使い分けています。仕事の文書と友達にかく手紙は文体が違っているはずです。文体チェッカーみたいなもので自分の文章を分析してみると、評論系は硬い文体になってますし、二次創作は読みやすく柔らかい文体になっているので、「ああ、ちゃんと書き分けられているな」と安心します。

一番書きやすい文体は一人称に近い三人称とよく言われますが、作風によって、完全に三人称の方がうまい人、完全に一人称の方が強い力を持つ人をみてきているので、やっぱり「ふさわしさ」が重要だと思います。

文体のレベルをあげるには「記憶した文章をみないで再現する」「好きな作家の文章を書き写す」「信頼できる人に添削してもらう」などなど、いろいろと方法がありますが、ふさわしい文章にするには、「そのジャンルの本をたくさん読む」のがやはり大事だと思います。読まないと語彙がストックされない。

私は十年ぐらい、歴史系アクションゲームの二次創作を書いていますが、最初、すごく困ったんです。現代文の文章だと(ゲームなのに)すごく書きにくい。それで歴史小説を読み始めました。どういう風に書いたらもっともらしくなるのか? 司馬遼太郎はもともと、そんなに好きな作家ではありませんでしたが、私が書きたい武将をどう書いているのかというところで、少しずつ読み始めました。なんで彼が読まれるのかわかってきた。「もっともらしい」のです。文中に作者が顔を出して「いまここを行くとこうなっていて」みたいなことを書くのは古くさい手法で、普通は興ざめするものですが、あきらかな嘘でも「なんとなくらしい」のです。司馬史観、という言葉、私は大嫌いですが(一小説家の嘘を、いわゆる「歴史」と混ぜこぜにしているのは、この言葉を使ってる人たちの方ですね)、説得力があることの現れなのでしょう。

そんなわけで歴史小説っぽいものが書けるようになったのですが、自分で書いた物なのに、後で読み返すと「あれ、これ誰が書いたの」とびっくりすることがあります。それぐらい、現代物と、文章が違っているのです。最近では現代物の方がひきずられつつあるぐらいなのですが、語彙をストックすることは、こんなにも大事なんだなと思います。十数枚の話を書くために知らない分野の本を何冊も読んだり、何ヶ月もかけたりしているので、重みがでてくるんですよね。

話は面白いはずなのにどうも受けがよくないな、という方、たまには文体の冒険をしてみてはいかがでしょうか。少なくとも、内容がつまらなくなることは、ないはずです。

 

たとえば時代物っぽい文体で歴史小説を書いてみましたよ(ゲームの二次創作ではないです)

「いぶくろをからに」 -- いしだみつなりとおおたによしつぐのおはなし --  (biglobe.ne.jp)

 

以下、告知です。

イベントのご案内 | ふらっとぺらっと
2024年1月20日(土)開催、ふらっとぺらっとpage3に委託参加します。
2023年の新刊2種『美少女探偵 美咲 総集編』と『美少年興信所~所長の回想~』を頒布します。行かれる皆様は、ぜひお手にとってください。こちら主催のウェブショップでの通販もありますので、まとめ買いご希望の方はご利用ください。
WebShopふらぺら

なお、同日発売の春木のんさま主催『ふしぎなアンソロ』に、美咲ちゃん物の番外編を書いています。よろしかったらこちらもあわせてご覧ください。