世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

有名であるってことに意味ってあるんだろうか。


先日「ごきげんよう」をぼんやり見ていたら、荒俣宏が授業をやってる大学で、ある日学生が一人もこなくて、九十分ずっと待っていたという話をしていました。「律儀だなー・途中で帰ればいいのに」と思いましたが、そこの学生も行かないなら最初から荒俣宏の授業とるなよ、とも思った。というか、あんな有名人なのに、そんなことがおこりえるのかとも思ったんだけどね。ありえるんだな。

有名人の自殺が報道されるたびに、いろんなことを考えます。「有名になることって幸せじゃないよな」という思いが一番強いんだけど。あと、コメントする人たちに忘れないでいて欲しいことが一つ。発作的に死ねるのは、まだ死に向かって跳躍するだけのパワーが残っている時であるということです。鬱だったんでしょ、という一言で片づくものでもない。


ということをグジグジ書いてみたいなあ(すでに一部はあちこちで書きましたが)。