世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

本当は義務教育で教わってるはずなのです。


小説でない物を書いていてつっかえた時、初心にかえるためにひっぱり出すのが、フレッシュマン・コンポジション(大学一年の時の英作文の授業)の教科書と、その教えです。
テーマからトピックセンテンスを抽出する、トピックを選別し組み立てる、足りない部分を肉付けする、というステップを踏むだけのことなんですが、なんかゴチャゴチャして言いたいことが通ってない時には有効なので。フレコンまで戻らなきゃダメか自分、と思ったりもしますが、恥ずかしいこととは思わない。思考整理の一方法に過ぎない訳だから。


でもふっと記憶をたどると、それ英語の授業でなくても、義務教育の国語でやってるよな、と。
論説文読む時、段落で区切って、その段落の主張を示す主文と、それを補強する文を選別して、その作業から全体的な文意を読みとる作業って、結構しつこくやらされた気が。
あのさー、読むだけじゃなくて作文書く時も、あの作業やらせればいいと思うよ。
そしたらきっと国語力だけじゃなくて、日本人の基礎英語力、確実にアップするから。
だって英語話せないのって、単語知らないからじゃないもん。文法覚えてないからじゃないもん。「私の意見はこうです、何故かというとこういう理由があるからです」っていうしゃべり方を練習してないからだもん……と某つくば研究所の某先生もおっしゃってましたし。


これだけネットが身近なものになって、みんなガンガンいろんな文章読んだり書いたりしてるんだから、若い世代の読み書きスキルっていうのはある程度あがってると思うんですよ。むしろ子どもの足をひっぱってるのは、偉そうなこと言って教育をダメにしまくってる上の上の方。どう考えてもな。