世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

カルピスとトマトジュース


カルピスは薄めが好きで、子どもの頃はコップに水をいれて、その水の八分目ぐらいまでカルピスを静かに注いでから(重いので下に沈むみたいな感じになるんです)、攪拌してのんでいました。
しかしそうするとかきまぜるものが必要ですから、「おまえトロいことやってんな、先にカルピスいれてから水を注げばまざるじゃん」などと言われる。しかたなく人の目のあるところでは、その方式をとってみたりもするんですが、原液を7倍以上に薄めるのって、結構テクニックいるんですよ。あんまり薄すぎても美味しくないしさ。
ですから昔は、カルピスウォーターなんて飲めませんでした。濃すぎて今でも時々つらい。氷をいれてごまかすのが普通なんですが、こっそり二割ほど水を足すと、あの懐かしい甘味になる。その方が美味しいんだけれども、それはカルピスが提供したい甘さではないんだよね。うーむ。


ところで、トマトに砂糖は珍しいのでしょうか。
某ガデ刹小説で、息子の永遠が刹那にトマトジュースをねだる場面を書きましたが、あれは子どもの頃の夏の定番おやつでした。トマトが余っていると、それを四つ割りぐらいにして、濡れふきんでぎゅうぎゅう絞る。それに砂糖と氷と、濃ければちょっとの水を足して飲む。子どもの力だとしっかり絞りきれないので、これがつまり親の味という奴でした(あとは甘い麦茶ね。この麦茶の話はAちゃん番外編「ニシタカユキの真夜中の噂」で、ラムネの思い出と一緒に書いてみました)。今でもトマトが余ってしまうと、ぶつ切りにして器に入れて、砂糖かけて冷やしておいたりするんですが。ほら、砂糖かけると水分が出るじゃないですか。その水分とトマトを両方いただく訳です。あとは他の果物のシロップづけと混ぜたりね。昔の小説に「トマトに砂糖かけるなんて、○○ちゃんてまだ子どもなのね」なんて台詞があったのを読んだ記憶がありますが、うちは大人も砂糖だよ。
しかしもしかして、世間ではトマトには塩ですか? トマトジュースも塩味ですか? 子どもも?
うち、西瓜にだって塩かけないんですが(もちろん砂糖もかけません)。
それでも、砂糖をとりすぎて太ったということもなく(今の自分はともかく、小学校時代はそれこそあばらが数えられるほど痩せていたんですよ)。


これは嗜好という奴ですから、他の人に「ええっ」と言われてもどうしようもないことですが。
自然に変わることもあるしね。
子どもの頃よりは甘いもの食べられるようになったし。


食べ物の話ってその人の個人史な部分があるので、小説なんかに上手にちりばめられていると、その人っぽさが表現される気がします。グルメである、とか食が細い(食に興味がない)、というだけである種の性格づけになるじゃない? 美食小説イコール素晴らしいとは言わないんだけどさ、面白い話なんかきくと、思わずメモしてしまったりします。


自分の舌は肥えてないのにね……。